日本の産業革命
『日本の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)』のなかで明治初期の通貨の話が面白かった。 江戸後期の日本は各藩ごとの藩札が飛び交い価格も変動が激しく下手すると紙くずになってしまう危険もある不安定なものだった。それを明治政府の成立のときに共通通貨を発行することになるのだが明治政府自体にもその通貨を保証するだけの資産が無かった。 当時の世界情勢はイギリスが工業中心から金融中心に移行する過渡期だった。ドイツが正式に金本位制を整えロンドン市場との関係を強めたのを皮切りに欧米各国が金本位制に移行していった。 日本は金が枯渇したこともあって銀本位制としてスタートする。これが新興工業国であった日本には好条件となった。先進国が軒並み金本位制を採用したことによって金の価格は上昇し、銀の価格は下落した。 つまり円安傾向が長期間続くことになる。これによって外国との価格競争に有利に働くだけでなく輸入品の価格を押し上げてしまうことで国内産業を守ることが出来た(その反面、金本位制を採用した国との貿易は不安定ではあった)。 当時の政府がキツい金策に追われた原因は外資の閉め出しにあった。外国資本を排除して自国で経済を回すことに固執するが故に常に資金が不足していた。鉄道を敷いたのも富岡製糸場を建設したのも外国人がやりたいと言ったから急いで用意したものであった。そこで明治政府は民間の大金持ちを頼った。外国からの借金を繰り返して植民地化することを極端に恐れたからだった。 しかしそれが功を奏して経営は軌道にのることになる。やっぱりプロの経営者のほうが商売はうまい。似たように銀本位制を採用して外国資本を排除しながら自国経済を発展させようとした清国は官営にこだわり経営はうまくいかなかった。ここらへんも紙一重の話だ。 初期明治政府を悩ましていたもう一つの問題が士族へ支払われる多額の秩禄だった。倒幕の中心となった士族から秩禄を奪う行為は自らのアイデンティティの否定となる矛盾したものではあるが政府支出の1/3を占めてしまう秩禄は大きな足枷になった。しかも1873年には徴兵制が開始され武士という身分自体がもはや時代にそぐわない矛盾したものとなってしまっていた。 この矛盾を解消するために西郷は征韓論を打ち立てるがそれも失敗に終わり下野することとなる。その直後6年分の秩禄...