サンディちゃんとウェンディーちゃん

どうも、ご無沙汰しております、好きなドラクエのキャラクターはサンディちゃん、好きなハンバーガーチェーンのキャラクターはウェンディーちゃんの錆田鉄男です。


ドラクエ10の廃人で引きこもりの44歳が農水省元事務次官の父親に刺し殺された事件を目にして、最初に思ったことは「ハマったのがドラクエ9だったらこんなことにならなかったかもしれないなあ」だった。

僕も10年前、引きこもりだった。2009年のことだ。

一人暮らしの引きこもりだったので最低限の衣食住をまかなうだけの外出はしたが髪も髭も伸び放題で、声を発する機会もコンビニやファストフードで買い物するときだけだった。

春に仕事をやめてからずっとゲームをしていた。やりこみゲーで有名な同人サークルの「犬と猫」のゲームをひたすらやっていた。『レミュオールの錬金術師』、『水色の塔』、『水色散歩道』、『海洋レストラン海猫亭』、『リミットレスビット』、『ハーヴェストグリーン』などなど。ゲームは通販やダウンロード販売で手に入れるので当然家から一歩も出る必要がなかった。

7月。ドラクエ9の発売が世間をにぎわせていたがニンテンドーDSを持っていなかったので、ネットでフリーゲームを渉猟したり、昔やった鉄鋼団の『Kinoko』『Kinoko2』『Kinoko3』を引っ張り出してきて遊んでいた。

9月。灰色の引きこもり人生にも少し楽しみな出来事があった。『サガ2秘法伝説』のリメイクが発売されたのだ。ゲームボーイ世代なら分かってもらえると思うが、サガ2は当時のゲーム少年のハートを虜にした名作RPGである。僕は三十歳のおじさんになっていたが久しぶりに少年のようなワクワク気分で、ニンテンドーDSi本体と『サガ2』のリメイク版のソフトが同梱されたセットを買った。

SaGa20周年記念モデルのかっこいいニンテンドーDSi

発売から1週間もせずにクリアし2週間もすればやり込み要素もだいたい遊び尽くしてしまった。投資額に見合う楽しさはあったものの、ずっと飽きずに遊べるものではなかった。そもそもストーリーは少年時代にすでに経験したもので、追加要素もそう多くは無かったからだ。

お祭りが終わった後の寂しい気分を味わい、心に穴が開いてしまった。

そこで目をつけたのが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』である。発売日から二ヶ月ほど経っていたが、まだまだドラクエ9の人気は下火になっておらず、ソフトも手に入りやすくなっており、攻略情報もネットに十分に集積されており、これから初めても十分楽しめそうだった。

スクウェアのゲームで空いた穴はエニックスのゲームで埋める! そんな気分でドラクエ9を注文した(もちろん当時すでに両社は合併されていたので同じ会社なのだが)。

主人公は地上に落ちた守護天使となり、一人(ワンオペ)で人間達から感謝の気持ちである「星のオーラ」を集めるお仕事に奔走するというストーリーである。なんかこう書くと、地球上で一番たくさんの「ありがとう」を集める経営で有名な企業を思い出してしまうが、今思うとドラクエ9の天使業界って完全にブラック企業だよね。

ドラクエ9は面白かった。ドラクエらしからぬ軽薄なキャラ造形で一部の人から反感を買っていたが、僕は主人公の相棒・サンディちゃんが好きだった。

ガングロギャル妖精、嫌いじゃない

寝落ちするまでドラクエ9をやり、風呂に入る時間も惜しんでドラクエ9をやり、頭がかゆくなっても我慢して伸びた髪をタオルでまとめ上げてドラクエ9をやった。空腹が限界に達したら近所の「ウェンディーズ」でハンバーガーやチリビーンズポテトを速やかにテイクアウトして家で食べた。それすらもめんどくさい時は買いだめしておいた板チョコ一枚で食事を済ませた。寝食を忘れ気味でドラクエの世界にのめり込んだ。

おさげがかわいいウェンディーちゃん

ウェンディーズに向かう夜道で、街灯から目に入ってくる光がどこか液晶の荒いドットのように映り、昔のゲーセンのブラウン管に焼きついているゲーム画面みたいに、自分の網膜にニンテンドーDSの粗いドットが焼き付いてるんじゃないかと戦慄したが、それでもドラクエの世界で遊ぶことを止めなかった。僕の精神はサンディちゃんで支えられ、肉体はウェンディーちゃんに支えられていた。当時、二人は僕の二大女神だった。

2009年末に日本から撤退してしまい哀しかった
現在は日本再上陸を果たしているウェンディーズ

さて、ここまではよくあるゲーム廃人の話だが、ドラクエ9となると話はここで終わらない。なぜならば、そもそもドラクエ9が流行り病のようにユーザーを増やし、社会現象と呼べるくらいのブームを起こしたのはニンテンドーDSに「すれ違い通信」という機能が搭載されていたためだ。ドラクエ9もすれ違い通信に対応していた。

携帯ゲーム機の強みは持ち運べることにある。ドラクエ9を待ち受け状態にしてニンテンドーDSを持ち運べば、同じように待ち受け状態にした道行く人たちと無線通信によりデータをやり取りする。例えば、自分の主人公の世界にある宿屋に、他のプレイヤーの主人公が泊まりに来たり、その時持っていた「宝の地図」をくれたりするのだ。

この「宝の地図」がドラクエ9ブームに拍車をかけたと言っても過言ではないだろう。友達や道行く人から受け取った宝の地図で、該当する場所をマップから見つけると特別なダンジョンに入れるようになり、そこには希少なアイテムの入った宝箱があったり、過去のドラクエシリーズのボスモンスターが待ち受けていたりする。

このダンジョンの構成はランダム要素が多く、時には沢山の経験値がもらえる「メタルキング」や「はぐれメタル」ばかり登場する階層が出てきたりもする。そうしたレアでお得なダンジョンを生成する地図として有名になった筆頭が通称「まさゆきの地図」や「川崎ロッカーの地図」である。

ドラクエの情報をやり取りするネット掲示板では、そうした地図の情報が飛び交っていた。その地図が喉から手が出るほど欲しかった。引きこもりの僕もとうとう観念して風呂に入って脂まみれの頭を洗い髭を剃って、外に出た。ドラクエ9が僕を外に連れだ出してくれた瞬間だった。

「まさゆきの地図」は拍子抜けするほど簡単に手に入った。日本一、いや世界一の乗降者数を誇る新宿駅に行けば容易いことだった。もちろん「川崎ロッカー」の地図もだ。「すれ違い通信」にすっかり魅せられた僕はDSを片手に近所を徘徊するようになり、わざわざ人ごみを求めて歩くようになり、秋葉原ヨドバシカメラ前の「ルイーダの酒場」に足を伸ばすようになり、果ては特別な配信データを求めて郊外のイオンモールなどで開催されるドラクエのイベントにまで行くようになった。

ドラクエ9が僕を外に連れ出した理由はもう一つあった。「Wi-Fiショッピング」の存在である。今こそ個人宅から都市の空間という空間を飛び交いまくっているWi-Fiだが、10年前はスマホの本格普及前でインターネットに加入していてもWi-Fi環境にない人も多かった。

僕もそんな一人だったのでウェンディーちゃんからドナルド・マクドナルドに浮気して、朝マックを頬張りながら毎日ロクサーヌさんが店番をするWi-Fiショッピングにアクセスするようになっていった。マクドナルドは貴重な無料Wi-Fiスポットだったのだ。

ドラクエ9に飽きるまでの過程も記しておこう。

ドラクエ9にぞっこんになっているうちに秋になった。引きこもりがちだった人あるあるなのだが、夏が終わったのに季節の変化に気が付かなくてTシャツ一枚で、その日も意気揚々とドラクエのイベントに配信データ目当てで行った。300時間以上遊んでるけれどまだまだ遊べるぜ! という気持ちだった。

ドラクエ9ですれ違い通信をした人たちとは、お互いの装備を見ることができた。この日も大きなお友達、小さなお友達いろんな人のすれ違いデータをチェックしていた。その中にまだ手に入るはずの無い強力な装備で全身を固めた人を発見した。改造データで遊んでいるユーザーだった。スーッと自分の中のドラクエ熱が引いていくのが実感できた。ドラクエ9という夏祭りが僕の中で終わったのだった。Tシャツは少し寒いな、と思いながら帰路に着いたの覚えている。

ドラクエ9のロムカセットには、あらかじめすべてのクエストやアイテムのデータが入っている。それを一週間に一度Wi-Fiでインターネットにアクセスすることで、少しずつクエストを解禁できるという仕組みだった。つまりセーブデータを改造すれば、一月先に配信されるクエストも遊べたし、そこで手に入るアイテムも入手できた。

僕はドラクエ9を遊びつくし徹底的に飽きようと思い、秋葉原でDSのロムカセットのセーブデータを読み書きする機器を買い求め、ネットでドラクエのセーブデータを改造するソフトをダウンロードして、未来のクエストをすべて解禁し遊んだ。最強装備で身を固め、あらゆるステータスを弄って、すれ違い通信もやらなくなって、飽きた。3日で飽きた。チートでゲーム性が破壊された。

楽しかったドラクエ9の思い出はチリビーンズとハンバーガーとチョコレートの味で始まり、その終わりは虚しく少し後味が悪かった。

僕がこの後、ドラクエ9でできた心の穴を埋める「ワクワク」を手にするのはiPhone3GSを手に入れるその年の冬のことである。

2012年にサービス開始されたドラクエ10がオンラインゲームであることを知ったとき、僕がまず初めに思ったのは「ドラクエ10じゃ引きこもりを外に連れ出せないよ!」であった。

コメント

  1. ゲームやらないからよく分からないけど楽しそうだね

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    1. すごく楽しかったよ。すれ違い通信は画期的だったね。

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