ラーメン大好き錆鉄さん
好きなラーメンは秋葉原の青島食堂のしょうゆラーメン、好きなインスタントラーメンはサッポロ一番みそラーメンの錆田鉄男でございます。
ここ半月ほど、ブログを書いていなかったけれど日陰くんのラーメン話を読んでいたらラーメンについて書きたくなってきたので書く。いつだってラーメンは力を与えてくれる。時代は昭和、日曜日、朝。テレビには「新婚さんいらっしゃい」や「パネルクイズアタック25」が映っていた。子供向け特撮番組やアニメが終わった後の、子供にはなんとも退屈な時間帯であった。が、平日仕事でテレビを見られない父親は楽しそうに桂三枝がシモネタを新婚夫婦にぶつけているのを観ていた。僕はまだ子供だったのでシモネタが分からず、日曜の午前中はだいたい退屈な記憶しか残っていない。
「笑っていいとも増刊号」で父親が平日の「いいとも」のおさらいを終える頃、ちょうどお昼の時間になる。そして片手鍋を手にした父親が「ラーメン食べる?」と僕に聞くのだ。
錆田家に買い置きしてあるインスタントラーメンは基本サッポロ一番みそラーメンかサッポロ一番塩ラーメンしかなかった。長年そんな環境で育ったためサッポロ一番シリーズに「しょうゆ味」があるという意識が全くなかった。テレビCMなどで目にしているはずだったのだが。
長じてから、なぜ我が家はみそ味と塩味しかなかったのか父に聞いてみたところ「ラーメンのスープは白いのが普通で黒いのはなんだか気持ち悪いよ」と語った。九州出身の父はラーメンといえば白いとんこつスープが普通で、上京してきてもしばらくは気味が悪くてしょうゆラーメンは食べられなかったそうだ。同じような色をした汁のかけ蕎麦は普通に食べていたと思うが、あれは気持ち悪くなかったのだろうか。不思議である。
こんな環境なので明星チャルメラやチキンラーメンが食卓に上がることはめったになかった。
インスタントラーメン以外のラーメンと言えば、逗子市民御用達のスーパーマーケット・キングストアの二階にある「ひなまつり」か横浜高島屋の「レストランローズ」か、いずれにせよ特別なときにしか食べられなかった。どちらも味はシンプルなしょうゆ味であった。僕のしょうゆラーメンへの憧憬はここに端を発しているのだと、今にして思う。ここまでは昭和の記憶である。
1995年、高校生ともなると、学食や学校近くの学割が利く定食屋でラーメンを食べるようになった。そんな中、本格とんこつラーメンとの出会いを果たした。ただし、「におい」とだけである。横須賀の高校に通っていた僕は学校近くの「どんぐり亭」で初めて、あの強烈なとんこつ臭を嗅いで、すぐに息を止めて足早に店の近くを通り過ぎた。
最初はそれがとんこつラーメンの臭いだとは知らなかった。まさか食べ物の臭いだとは思いもしなかったし、強烈な臭いだったので食べたいとも思わなかった。関東では本格とんこつラーメンはまだまだ限られた人々の食べ物だった。僕がとんこつラーメンと言えるようなものを初めて口にしたのは高校を卒業し、横浜の代々木ゼミナールに進学して「ラーメン横浜家 金港町店」が初めてだったかもしれない。無論、本格とんこつスープではなく関東人の口に合うようにカスタマイズされたとんこつしょうゆだ。
ちょっと調べてみたところ、残念ながらここまでに出てきたラーメン屋はすべて閉店している。平成の世になり、気が付くとラーメンは国民食と呼ばれ、ものすごいバリエーションのある食べ物として発展して今に至っている。ラーメンは未だ進化の激流の中にあり、その存在は水物である。潰れてしまう前に暖簾をくぐらないと、もうその味は未来で食べられないかもしれない。臭いに負けてとうとう一度も行くことのなかった「どんぐり亭」の味を確かめる術はもうないのだ。アーメン。
「ラーメン大好き」ときたら「齊藤京子です」のほうを連想するくらい脳が侵されています。出てきた店名一個も分からないけど思い出深い店が消えると悲しいよね。
返信削除齊藤京子が誰だか知らないけれど、ラーメン屋の名前を共有できるようになったのはネットの存在が大きい。昔は雑誌やテレビのラーメン特集みたいのしかなかったよね。
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