平成化石6 ラーメン編

松井秀喜が5打席連続敬遠された甲子園の試合を近所ラーメン屋のテレビで観たのを覚えている。


その日は母親が不在で夏休みだったぼくは父親に連れられてラーメン屋にいた。当時のラーメン屋はまだ古いタイプの中華料理屋みたいなものでメニューには餃子やチャーハンもあった。店内は油っぽく内装は汚かった。だけど今よりもゆったりとしていてしばらく野球を観せてくれるだけの余裕があった。


当時は出前も一般的で親戚が家に来たときなんかはラーメン屋から出前をよく取っていた。


味はあっさりとした醤油ラーメンが一般的で他には味噌くらいしかなかったと思う。はたしてブタメンより先に本物の豚骨ラーメンを食べたことがあったか自分の記憶が定かではない。  


平成のはじめころのラーメンはただのファーストフードだったし味もシンプルだった。スーパーの生麺とそこまで大差なかったと思う。せいぜい具がたくさんあるくらいなもので。


90年代半ば以降にラーメンがロマンとして語られるようになっていった。朝四時から仕込みをするとか10時間煮込んだスープとかスープの出来が悪い日は店を開けないだとか、ラーメン屋の店主のこだわりや頑固さが持て囃されるようになった。ラーメンはファーストフードから美食になっていった。


90年代後半にもなるとラーメンも多種多様になっていった。豚骨ラーメンの店も当たり前のように街に並ぶようになった。そのころになるとラーメン番組もさらにロマンで語るようになった。素材はこだわりの逸品で地鶏だの幻の醤油だの店主が全国各地を渡り歩きながら厳選するらしい。よくよく考えたらそんな良いもの使うなら値段に反映されるはずだがラーメンは相変わらず700円程度だった。


2000年代はつけ麺や油そばなどラーメンの亜種も産まれた。一風堂や天下一品などかつて並んだ店はチェーン店化してどこの街にもあるようになった。神奈川にしか無かった家系ラーメンはいまや全国どこにでもある。ネットの普及で情報源がテレビや雑誌から食べログになった。


子供のころ行った汚いラーメン屋はどうなったのか。幼いころの記憶を頼りにその場所に行ってみた。実家の裏手にあって汚い店構えに薄汚れた暖簾とやたら音の出る引戸が懐かしくなった。


その場所はいま駐車場になっていた。あの店の味は未だに記憶のなかにある。故郷のソウルフードであるサンマーメンが美味しかった。またあの味を味わいたくて近くのラーメン屋に入った。


そこは家系ラーメンで綺麗で清潔感のある店内には若い女性店員の元気の良い声が響いていた。新品同然の食券機を探してもどこにもサンマーメンの文字は無かった。

コメント

  1. まじか、サンマーメンって神奈川県人しかくってなかったのかよ。
    ちなみにラーメンといえばサッポロ一番味噌ラーメンだった。

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    1. 正確には三浦半島ね。家系も同じくらいローカルだったのにね。蛇足として地元でよく行ってた家系ラーメンの店が仙台に移転してしまった話も書こうかと思ったけどやめた。

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