こうして僕は書くしかなくなった

どうも、ポンコツ無職のスペシャリスト錆田鉄男です。

失業した僕に以前、叔父が言った。
「好きなことがあるなら乞食になってでもそれをやれ。好きなことが無いなら楽な仕事をやれ」
至言である。

人生は切り立った崖であり、「好きなこと」はそこを登っていくための取っ掛かりであり足場である。そして崖の下で人生に対するアプローチを見つけられず途方にくれていたのが僕であった。

自分にはこれと言って大好きなことがなかった。それなりに好きなことはあったが、趣味と呼べるくらいのめり込んできたことが無い。ゲームもアニメも漫画も嗜んできたがオタクにはなれず中途半端であった。

そんな僕を昔付き合っていた女性は「専門性の無いオタク」と的確に評した。慧眼だった。とりえの無いオタクっていいとこ無しじゃん! オタクっぽくて気持ち悪いだけじゃん! 今も彼女の言葉が心に刺さって抜けない。その彼女にはすぐ振られた。

移ろいやすい心を有する人間という不安定な存在に人生クライミングの足場を任せるわけにはいかない。昔のアニメでよく見る「色の違う岩」みたいに崩れやすいのだ。アイドルを崇め奉り布施を欠かさず、ライブに必ず足を運ぶ熱心な信者がうらやましい。皮肉ではなく心底そう思う。自分には信仰心が無い。

では組織に属することはどうか。小中高そのどの時期も「愛校心」を感じたことはほとんど無い。大学時代も同じく自分の所属する大学の野球チームや駅伝チームの勝敗に全く関心が持てなかったし、応援に行こうとすら思わなかった。

会社もそうだ。正社員として二度就職し二度退職して、派遣会社で仕事したりしなかったりを経験した結果、働くことが向いていないことが判明したばかりで好きなことは見つからなかった。むしろ働けば働くほど会社を憎むようになった。働いていた場所は漏れなく「不浄の地」となり、嫌いな場所が増え生きにくくなっただけだった。

三年前、職場の上司から退職を勧める電話を布団の中で受けてからこっち、ずっと好きなものを探したが布団の上と夢の中にしか居場所を見つけられなかった。

一度辞めた株式取引にも再び手を出したが結果は「アキュセラ逃げ場なしの6日連続ストップ安」という憂き目に遭い退場した。そう言えば前回株を辞めたときはライブドアショックの時だった。株式市場にまで嫌われるに至っては、もう人生に向いてない、生きるのに向いてないという確信めいた信念が生まれた。

その後は食って寝るだけの老人みたいな生活を二年以上送ってきた。口癖は「早く死にてぇ」である。過去の嫌なことを思い出しては「早く死にてぇ」と呟いたり叫んだりした。「すぐ死にてぇ」ではないのがミソだ。なんだかんだいってまだ死にたくないのだ。使い切ってない歯磨き粉のチューブを捨てるのと同じでもったいないから。どうせ捨てるならしぼり出して全部使い切ってから捨てるべきだ。

今年に入り、もうすぐ底をつく銀行残高を横目にしながら、もったいない精神をよりどころにして少しずつ人生という崖にアプローチを始めた。自分には何ができるだろう。評価軸を「好き」から「できる」に変えて自分を棚卸ししてみた。

自分は「くこと」だけは向いているのではないか、と思い当たった。

中学のときの読感想文では賞をもらって廊下に貼り出された。

高校のときは新聞部で記事をき、校内のフリーペーパーでコラムやエッセイをき、部員はもちろん自分を知らない別のクラスの人や友人の親御さんからも褒められた。国語の教師からは「この本を読んで感想文をいて欲しい」とか「作文コンクールにのために何かいてくれ」とかいった依頼が来たこともあった。

浪人時代はろくに勉強せずよく予備校をサボっていたが現代文と小論文の講義だけは欠かさず出席した。小論文の答案は「ホームラン解答です」と花丸をもらったこともあり嬉しかったことを今でも覚えている。

大学受験は国語と小論文と英語という最小構成で挑み早稲田大学第一文学部に落ち第二文学部に合格した。英語が大してできなかったのでおそらく国語と小論文でどうにか引っかかった感じしかない。

大学生のときはmixiで面白日記をいていたお陰で、女の子三人からデートのお誘いをもらい、その内一人が上の方に出てきた彼女で、僕のこじらせたしつこい童貞を治療してくれた。

それ以降は現在ポンコツ無職のスペシャリストであることでお察し頂けることなので割愛する。

もちろん、この年になってくことを仕事にしたいというほどの夢想家ではない。自分は売り物になる文章をく能力は無いし、その野心はない。嘘がかけないのでフィクションみたいな娯楽を人に提供できない。

自分のことしかけない。世間の人が自分に興味なんてないのは当然知っている。僕の文章なんて誰も求めていない。でも違うのだ。自分が求めている。「オレがオレにオンデマンド」なのだ。三十九歳にしてようやくMEGWINさんの境地に立てた。

なに? 日記なんてチラシの裏に書いとけ? 新聞とってねえからチラシなんてねえよ。チラシなんて資源の無駄だ。みんなもどんどんインターネットに書けばいいんだ。

ミスターSASUKEこと山田克己さんが「俺には……、SASUKEしかないんですよ」と涙ながらに語ったように、僕はくしかなくなった。

でも僕は泣いていない。とても晴れやかな気分でこれをいている。

仕事? うーん、なんか楽そうなやつ探すよ。ブログでもきながら。

コメント

  1. コメント2回消えて書く気力が消えかけだけど、また書くとぼくは幼少期作文は0点で図工は無双でした。でもいまは逆で図工は心折れかけなくらい罵倒されつつ泣きながらやってます。そして文章で褒められてます。人生ってわからないものですね。

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    1. 鼻くそほじりながら文章書けるようになったら、図工もがんばって動画編集できるようになって、MEGWINさんみたいな社員に謀反起こされる立派なYoutuberになろうよ。

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  2. しっとりしていて良かった

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    1. ありがとうございます。
      一日も早い隊長のTwitterでの復帰を願っております。

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