もう行かなくなった場所
普段はあまり行かない道を散歩するとふと懐かしい瞬間がある。旧友が住んでいた家の前だったりかつて一度だけ入ったことがある店だったりなにかの思い出がある場所を見かけたとき昔の思い出がフラッシュバックしてくる。
普段行き来している道のほうがずっと思い出があるはずなのに不思議だ。もっと言えば自分の部屋の中で過ごす時間が最も長いのだから自分の部屋に戻った瞬間懐かしい思い出が蘇って来ても良いはずなのにそんなことは一度もない。風呂入ろうとか何食べようとかそんなことばかり考えている。
そんな部屋の中にいて懐かしくなることもある。この前部屋を片付けていたら大昔使っていたガラケーが見つかった。その瞬間それを使っていたころよくつるんでいた旧友や職場、行きつけだった飲み屋など一気にフラッシュバックしてきた。どうやら人は何か失わなったものと久しぶりに再開しないかぎり懐かしくなることはないみたいだ。
この懐かしさはあまり好きじゃない。寂しい気持ちになるからだ。この寂しさを感じるくらいなら全て忘れさってしまって、いつ買ったか分からない書けなくなってる100均のボールペンを見つけたときみたいに躊躇なくゴミ箱に放り込めればどんだけ楽だろうと思う。
でもそれもなぜか出来ない。また見つけたとき同じ寂しさに襲われると分かっていても引き出しの奥にしまってしまう。日本の携帯会社が銭ゲバだったせいで専用充電器買わないと充電出来ないからもう電源が入ることはおそらくないだろう。でもなぜか捨てられない。使っていた携帯を平気で捨てられる人が羨ましい。ぼくにはそれが出来なくて前にも書いた通り最初に買ったiPhoneなんか部屋に飾っているくらいだ。
あといつも考えているのはいつかこの部屋を懐かしいものになるときがくるということ。それはいつか分からないが確実にやってくる失う瞬間と久しぶりにいま住んでいる家の前を通る瞬間がやってくるはずだからだ。自分や身近な人の死を考える瞬間に近い。いつか来るはずだけどまだ来ていないもの。
先日実家に帰省したときに近所を散歩した。昔から散歩が好きだったから小学生のころから10年以上毎日散歩していた道だ。その懐かしくなかった道が懐かしいものとして現れてきた。そのとき思い出してみたら似たようなことを小学生のときに考えていた。この道がいつか懐かしいものとして感じる瞬間について散歩しながら考えていた思い出が懐かしいものとして蘇ってきた。やっぱりいつか来る日は絶対に来るのだ。身近な人の死も自分の死も。
夕暮れに実家近くの海辺の道をとぼとぼ歩きながら自分の死を悟ってしまった。かつて自分が放課後サッカーをしていた公園でサッカーをする少年がいた。彼もまたいつかこの公園が懐かしく感じるときが来るだろう。世の無常を感じた瞬間だった。これが昔の人なら出家しているのかもしれない。
歳をとったら縁も所縁もない場所に住みたい。そこには懐かしさがないから。身体が動かなくなって頭も弱くなって新しい思い出を作れないのに懐かしさに囲まれてしまうとウサギでもないのに寂しさで死んでしまいそうだ。でも懐かしさのほうが追いかけてくることもある。テレビで実家の近くが映ると懐かしい気持ちになる。人の家の前を通ったとき旧友の家の匂いに似た匂いがすると懐かしい気持ちになる。こんな風にいつスイッチが入るか分からない。結局逃げ切ることは出来ない。
新しい懐かしさを作らないためには周囲の人間全てと縁を切って家具は寝具しかない部屋に引きこもり毎日同じものを食べて外部の情報も遮断することだ。でもそれだと生きている意味はない。生きている以上他人と交わるし楽しさを求めてしまう。いつか失ったときに懐かしさという怪物に変化してしまうと分かっていても思い出を溜め込んでしまう。
つまり楽しさとは借金のようなものだ。人生において快不快がだいたいバランスを取れると仮定して先に楽しさという快楽を貰ったあとでやがてバランスを取るために懐かしさという寂しさの不快で埋め合わせをしなければならない。その楽しさの山が高ければ高いほど寂しさの谷も深い。
美味かったラーメン屋の前で感じる懐かしさより昔の彼女とデートした観光地で感じるそれのほうが大きいだろう。しかもやっかいなのが楽しさを常に仕入れていないと懐かしさ=寂しさの負債がかさんでしまうことになる。
ぼくが老人になるころには借金で首が回らなくなり昔の話を無限ループで話すやっかいな存在となり周りから疎まれさらに楽しい思い出が作れないという負の負債ループに陥り老人性鬱を発症することになるかもしれない。
でも人間とは不思議なものでぼくがガラケーを引き出しにしまったのもこの寂しさも変に癖になるからだ。本来毒を意味する苦味や辛味が美味しく感じてしまうときに近い。この寂しさがじっくりと全身を駆け巡っているときは不快でありながらそれが僅かな悦びとなって全身に響く。不思議なものでまたそれが味わいたくて懐かしさをもたらすものを完全には消去出来ない。
人間生きていれば出会いと別れを繰り返すだろうし思い出も増えていく。だからこそこの快楽の部分をいかに上手く味わえるようになるかが老人になるまでの課題かもしれない。
英語だと懐かしい記憶はスイートメモリーズだから甘いらしいよ。いずれにせよ食べ過ぎ注意だ。
返信削除パスメモも思い出になっちゃったね。
削除