啜り

ラーメン屋で西洋人の中年女性が食べているのを見ていたら箸を使って麺をごっそり塊にして掬い出して骨つき肉でも食う原始人みたいにかじりつきだした。食べにくいのではないかと思ったが、それでも彼女にとってはそれしかないのだろう。


日本人が麺をすする音が不快だといういかにも性格の悪そうな白人男性のインタビュー画像が出回り、SNS上でちょっとした論争になっていた。


「郷に入っては郷に従え」と教えられてきた日本人にとっては直接的に自分たちの文化を批判されたことに対しての拒否反応が出たのか、大半は「なら日本に来るな」というものだったがなかには外国かぶれの日本嫌いが自分も不快に思ってただの日本も国際化するのだから国際基準に合わせるべきだのと、愛国者たちに燃料を投下してはめんどくさいやつらに絡まれていた。


そうは言っても日本人にとってはそれが1番美味しい食べ方である。だけど外国の人にラーメンは豪快に音を立てて啜ったほうが美味いよと言ったところで音を立てることを禁止されて育った人間にとってはそれを身体が許してくれないのだ。


例えば我々が布団の中で小便をしろと命じられることを想像してほしい。幼いときからおねしょは禁止され恫喝や嘲笑によって深い無意識のなかにタブーとして根付いてしまっている。それをやれと言われたところで簡単には出来ない。


外国の方のなかでも日本のアニメや漫画の影響か音を立ててすすることに憧れを持つ方もいる。しかし彼らも練習を重ねないと音を立てる啜ることは出来ない。


ましてやそれを数多く行った海外旅行先のひとつでしかない観光客に求めるのは無理だろう。彼らは野蛮人の不快な音に悩まされながら、不恰好で不味そうにラーメンを食すしかないのだ。


でも、なんで日本人は麺をすするのに音を立てたがるのだろうか。一説にはラジオの落語の影響らしい。ラジオで落語をやるときに噺家さんたちが蕎麦をすすることを表現するのにわざとらしく大きな音を立てたのだとか。


そう、たいして歴史があるもんじゃないのだ。


そもそも伝統的な江戸の蕎麦屋さんは太切りの店が多くて音なんて立てられそうもない。むかしは蕎麦を食べることを「蕎麦を手繰る」と表現したからきっと箸で手繰るようにして食べることが多かったのではないか。


ぼくは蕎麦屋に行くのが好きなのだけど蕎麦屋にもマナー警察みたいなのがいて、つゆを蕎麦の先にしかつけるなとかワサビは使うなとかいうのがいるが大抵は根拠の乏しい。


だけど個人的に好きな食べ方があって漱石の「吾輩は猫である」であった少量すくって噛まずに飲むやり方はおすすめできる。





「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心しょしんの者に限って、無暗むやみにツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、一ひとしゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃せいぞろいをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂すだれの上に纏綿てんめんしている。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユを三分一さんぶいちつけて、一口に飲んでしまうんだね。噛かんじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉のどを滑すべり込むところがねうちだよ」(※1)






このやりかたは蕎麦の香りを感じられるし、ゆっくりと蕎麦を楽しむことが出来る。



それと池波正太郎先生が「男の作法」で書いている食べ方も参考にしていて要約すると、


・少量すくって2、3口で噛んで喉に流す

・薬味(七味)はつゆの中ではなく蕎麦の上へ

・つゆの辛さに合わせて蕎麦を浸す


これだけ守っていれば確実に美味しくいただける。


それはそうと今日ぼくはラーメンについて語りたいわけでも蕎麦のウンチクを垂れたいわけでもない。


先日少し高めのイタリアンに行ったときのことだ。昼の12時くらいでも客はまばらで、ぼくらのテーブルの他には富裕層のマダムたち数人が窓際の明るいテーブルを囲むのみだった。


席についたぼくは天井の高い店の窓から差し込む初夏の光に照らされる上品なマダムたちを見て改めて高めの店にきたことを実感した。


ぼくらより早くから店にいた彼女たちに美味しそうな匂いが立つボンゴレが運ばれてきた。優雅なマダムたちはハイソサエティな談笑をやめフォークを手に取った。


ぼくはそれを気にすることもなくランチ前の会話を楽しんでいた。そしたら近くのテーブルからズルズルという音が聴こえてきた。


ブランド物(たぶん)に身を包んだ優雅な上流階級マダムがSUSURU TV並みの良い音でパスタを召し上がっている。


ぼくはラーメン屋をすする音が不快だと言っていたフランス人と同じ表情になった(おそらく)


そういえばイタリアに旅行行ったときもレストランでパスタを啜ってる日本人観光客がいた。


「郷に入っては郷に従え」


これは必要なことだ。


パスタを綺麗に食べる方法は


・適量すくう

・巻く

・巻き終えてから口に運ぶ

・口に入りきらなかったものは噛み切る


こんな感じだ。


我々日本人がラーメンを音立ててすする外国人に好感を持つならイタリア人も綺麗にパスタを食べる日本人に好感を持つはずだ。少し説教くさくなったけど、たぶんこの食べ方が美味しい。マナーと美味しい食べ方って案外直結してるものなのかもしれない。






(※1) 夏目漱石著「吾輩は猫である」 青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html)

コメント

  1. そばをすする音は気にならない日本人でも、くちゃくちゃ音を立てて咀嚼するのは許せなかったりする。不思議だね。

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