追うな! ねたむな! にくむな!
どうも、哀しさの闇をひた走るロンリーガイこと人生再設計第一世代の錆田鉄男です。
近未来SFとかで地球の抱えられる人口がもう限界で、棄民政策として辺境惑星に入植民第一号として送り込まれて過酷な開拓生活を余儀なくされるような人たちを連想させるよね、人生再設計第一世代ってネーミング! テラフォーミング!まあ、そんなことはどうでもよくて、今日は僕の誕生日なのだ。御年四十歳になっちゃったよ。そしてやっぱりというか当然というか不惑の境地に達するどころか、まともな大人になれませんでしたの境地であり、今後もまともな大人にはなれそうもない予感しかしない境地。
そんな記念すべき令和最初の誕生日に何をしていたかというと、東京流通センターで行われた第二十八回文学フリマ東京に行っていた。名前のとおり、文学・小説・評論などなど文芸を中心とした同人誌即売会だ。
5月6日の文学フリマ東京ツ-24で、ネットには書きにくい微妙な話を集めた掌編集「夜のこと」を出します。11編のお話を収録しています。表紙は @battan8 に描いてもらいました。 pic.twitter.com/TP8VA3JfmU— pha5/6文フリ東京ツ-24 (@pha) 2019年5月2日
僕の目当てはphaさんの本だった。phaさんの本は大体読んでいる。phaさんが「pha」を名乗る前の本も読んでいるので、結構なphaさん信者と言えよう。
phaさんを知ったのは十年ほど前で、「ニートだけど別荘を買った」というエントリーを読んだことがきっかけだったと思う。phaさんはギークハウスと名付けたシェアハウスを作ったり、ニートとして働かずに生きていく様がネットで耳目を集め、後にテレビなどでも紹介され、日本一有名なニートとして注目されるようになった。
同じ頃、働きたくない病に冒され最初に就職した会社を辞めた僕としては、彼の生き様に大変シンパシーを覚え、心の師と仰ぎ、彼の書く文章の中にいつしか救いを求めるようになっていった。今では心の中でphaさんを尊師と呼んでいる。ちなみに僕とphaさんは動物占いでコアラであるという共通点もあるのだ。
phaさんの文章はだいたいにおいてよく推敲されていてすっきり読みやすい文章だ。書かれる内容もむき出しの内面や情念や怨念が出てこず、綺麗に洗ってきちんと畳まれた洗濯物のような印象がある。phaさんの随筆などをネット上でよく読むが自分の家族の話が書かれることもあまりない。
そういうphaさんが恋愛とセックスという珍しく生々しいテーマで書いた文章を頒布するというので興味を覚えたのだった。
文学フリマの開場前には会場に着き、開場するとすぐにphaさんのブースに行き、「夜のこと」を購入。家に帰ってきて、ワクワクしながら読んだ。テーマが変わってもやはりすっきり読みやすく、やらしいことを書いているはずなのに清潔な印象だ。以下、読み終えたときの感想だ。
文学フリマで入手したphaさんの本をキャラメルコーンを食べながら読んだ。思ってたよりたくさんセックスしててずるいと思った。高校生の時に大槻ケンヂさんのエッセイを読んでたくさんセックスしててずるいと思った時の瑞々しい感情と相似形。僕も愛する才能の持ち主だからモテないわけないんだけれど pic.twitter.com/m9YXzrWmT7— 錆田鉄男 (@sabitatetsuo) 2019年5月6日
いろいろ書いてきて感想がこれかよ、と思われるかもしれない。が、これは偽らざる気持ちであり、これを理解して頂くには筋肉少女帯の銀輪部隊を聞いてもらうしかない。
(歌詞はこのエントリーの最後に掲げる)
ニコニコ動画の視聴者のコメントを含めて、実に味わい深くなっている。
「負け犬の神だよ、オーケンは」
「オーケンは勝ち組だろ!」
なんて応酬をロンリーガイ達がコメントでしている。
この歌は端的に言えば「走り続ける負け犬」の心情を歌ったものだ。でも、これを歌う大槻ケンヂさんは成功者であり負け犬ではない。負け犬の気持ちが分かる勝ち組である。歌詞の表現を借りるならば、明るさに包まれた明日を見つけた人である。何かを選び、あるいは選ばれ、バイシクルの群れを離れた者である。
そして、我々はバイシクルの群れに取り残された者たちなのである。私達の心情を誰よりも理解し、私達の代わりに表現し、我々を導く者は我々の群れの外にいるのだ。
ダメ人間の心情をどんなに素敵に表現していたって、当然、オーケンはモテモテだし、八十年代バンドブームの時はファンの女の子を食いまくりだし、やりまくりだし、エイズが怖くてコンドームを二枚重ねにするくらいだったと彼のエッセイで読んだ。
以上を踏まえた上で、phaさんの恋愛とかセックスの話を読んだときの僕の心情を想像しなさい、という問いの答えが上のツイートなのだ。
まあ、勝手に共感し勝手に崇拝し勝手に投影し勝手に自分と同じだと思い勝手にこっち側の人間だと思い込み勝手に裏切られるというのは人間には良くあることだ。しかし、銀輪部隊を愛聴するロンリーガイはそこで終わらない。
明るさに包まれた明日を見つけた人には「追うな! ねたむな! にくむな! 心から祝福してやったらいいよ! ベルを鳴らせ! おめでとう! コングラッチュレーション! スタンディングオベーション!」である。
そしてこうも思う。「明るさに包まれた明日を見つけた」と思われた人もまた、次のバイシクルの集団に合流するに違いないのだ。
僕は二十五で童貞を捨てたとき、バイシクルの群れを抜け出して「明るさに包まれた明日を見つけた」と思った。友達にも「コングラッチュレーション! スタンディングオベーション!」と祝われた。
だが、どうだ。未だに僕はロンリーガイであり、マスターベーションだ。
地球という惑星の外には太陽系が広がっており、さらに外には銀河系がある。その銀河だって数ある銀河のひとつでしかない。つまり、銀輪部隊のバイシクルの群れもマトリョーシカのような多重構造であるに違いないのだ。ありていに言えば人間の悩みは尽きないのだ。でなければ、大槻ケンヂさんもうつ病になんかならないはずだし、phaさんも冬季うつになったり、Twitterのアカウント名が「pha」ではなく「.」になったりしないのだ。
彼らは友だし、追ったり、ねたんだり、にくんだりしてはいけない。
そもそも僕とphaさんの共通点なんて動物占いでコアラであることくらいなんだから。
追伸:人体実験のオーディションに落ちたら、Uber Eatsの箱を背負ってバイシクルで走るしかないかな、という感じの近況です。自転車持ってないけれど、とりあえず明るさに包まれた日を見つけるまで走り続けようと思う。
(以下歌詞の抜粋である)
銀輪部隊
作詞:大槻ケンヂ
おお見よ、哀しさの闇を
ひた走るロンリーガイ
今、前方に輝けるシルバーの群団
何者? 仲間だ!
やはり、やりきれない心を抱え
それでも生きることを
あきらめない
バイシクルの群れを
君は見たのか? 見た!
おい、ロンリーガイ 共に走ろう
この闇の中から抜け出す日は
必ずある。必ず
ないわけがあるか!
ないわけがあるか!
グレイシーが
マウントを返すよりもっと速く
マッハだ!
そうマッハの速さで、
俺達は走り続けよう
どうして人生は
駆け抜けないのか!?
どうしてこんなに
ゆるやかに流れていくのか!?
悩むな、
そのヒマがあったら走れ!
おい、心地いいなぁ、
久しぶりだなぁ、
風がほほをきるぜ
笑おうか 笑おうな
笑ったっていいよな
俺たちはやりきれないからこそ
笑うべきだよなぁ
笑おう アッハッハッハー
おお、見よ
進路を変えたヤツがいるぞ
見たか! 見た! 誰だ! 友だ!
見つけたんだ
明るさに包まれた明日を
あいつは見つけたんだ
どうする!? 追うな!ねたむな!
にくむな! 心から祝福して
やったらいいよ!
ベルを鳴らせ! おめでとう!
コングラッチュレーション!
スタンディングオベーション!
もう二度ともどって来るなよ!
もどってきたって
入れてやんねーからな!
……ああ…
いっちまったぁ……
おい、俺達はまだ
明るさに包まれた日を
見つけていないよなー
だったら走るしかないだろう?
誰の足だよ?
てめえの足だろ?
走れ!走れ!走れ!走れ!
走れ!走れ!走れ!走れ!
走り続けろ!
なんだ泣いているのか?
いいかもしれねーなーそれも
だってさ、泣きながらでも
走れるしなー
よーし よーし よーし よーし
おーし おーし おーし
泣いちまえ 泣いちまえ
泣きながら行け オー! ユア
シルバーバイシクル!
銀輪!銀輪!マッハ!マッハ!
銀輪!銀輪!マッハ!マッハ!
ぼくもコアラでした。phaさんのエッセイについては妬むとかよりも女子がいう恋愛対象じゃない男友達にいきなり告られたときの気持ち悪さだと思います。ぬいぐるみからチ○コが映えてきたってやつ。
返信削除ぬいぐるみからペニス論か。38ページ目の「どんな女友達とも、そのうち5パーセントくらいの確率でセックスするかもしれない、と思いながら会っている。」というのが素晴らしくphaさんという男性の心の機微を表現していると思う。常にペニスは生えてるんだよ。敢えて表明する必要のあるものでもないし、してこなかっただけのことで。
削除自分の両親とか性の雰囲気漂わせないで欲しい対象が人にはそれぞれいて、phaさんがそのカテゴリーに入っている人がいても不思議ではない。
自分の場合は「ちくしょー、性の喜び知りやがって! 月曜日のマンデーに!」って気分だ。