嬉しいことと悲しいこと

どうも、日々引きこもり気味で悲喜交々の錆田鉄男です。

人生において最も嬉しいことは何だろうと考えたとき、僕ならば「できなかったことができるようになること」と答える。逆に最も悲しいことは「できたことができなくなること」となる。

子供のときはできなかったことが多かったけれどその分できることが成長と共にどんどん増えたので嬉しかったことが多かった気がする。自転車に乗れるようになったこともその一つだ。自転車に乗るコツを掴んだときのことをよく覚えている。小学一年生の時だ。これは嬉しかった

母親による自転車の指導は良くなかった。練習場所は家の前の道路。自転車の後部を大人が掴んで、ある程度スピードが出てきたら手を離す、というよくある練習法だ。ちょっとした坂道で手を離して自走させたりするのでバランス感覚を掴む前に転んでしまい膝や脛を擦りむき、随分痛い思いをした。

父親は優秀な自転車講師だった。練習場所は公園の平らな石畳の上。母親の指導とは逆に止まった状態からスタートする。自転車にまたがり片足をペダルに置く。そしてもう片方の足に力をこめて一歩を踏み出す。父親は軽く自転車の車体に手を添えるだけ。これだけで僕はすぐにバランス感覚を掴んだ。転倒の恐怖心を和らげつつ、最初の一歩を息子のペースで掴み取らせるように父は見守った。

自転車に乗れるようになったおかげで行動範囲が半径一kmから市内全域に広がった。自宅から遠い友達の家にも、プラモデル屋にも、駄菓子屋にも行けるようになった。

僕らは法律で制限されたり、年齢で制限されたり、資格で制限されたり、身体能力で制限されたり、色々制限されている。こうした制限を解除していき世界を広げることは喜びの源泉となりうるのだ。

アルコールについては二十歳の時に法律の制限が解除されたが、コップ一杯のビールで吐くような下戸なので身体的に制限を受け続けている。若い頃は「酒を野飲めない人間は人生を半分損している」なんて言う酔っ払い共を憎悪したものだが、酔っ払うことで広がる世界もあるのだからそれもそうだな、と今では素直にそれを認めている。

タバコについては好奇心がそそられなかった。父が喫煙者でその口臭が耐えがたかったのと、小さい頃父に連れて行かれたパチンコ屋において全身でたっぷり副流煙を吸ったのでもう十分だったからだ。

選挙権、被選挙権といった権利も獲得したが、もともと求める気持ちもなかったのでそれを手にしたところで特に感慨はなかった。

職を得るためにボイラー技師や電気工事士も取ってみた。試験に受かったときはそれなりに嬉しかったが世界が大きく広がったかというとそんな気はあまりしなかった。少しは広がったかもしれないが、ビル設備の保守の仕事では「使ってる感」「役立ってる感」があまりなかった。全く乗っていないが原付の免許を取ったときの方がまだ何かいい予感がした気がする。

うーん、自動車の免許でも取れば何処へでも行けるような感覚や喜びを再び手に入れられるのだろうか? と思わなくもないが残念ながら自動車の保有は経済的に制限されてしまっている。


もうすぐ四十歳だ。人生八十年だとすれば折り返しだ。時間の過ぎる速度も坂を転げ落ちるように加速するだろう。これからは衰退のフェーズに入る。体は老い、できたことができなくなっていくだろう。悲しみに備えなくてはならない。

老人が車で人をはねたり、道路を逆走したりするようなニュースが報道される度に暗い気持ちになる。「自分が運転できることから汲み出す喜び」と「他人を事故に巻き込むことが呼び寄せる悲しみ」を天秤にかけて、自主的に運転免許を返納できる聡い人間ばかりではないだろう。大抵、自分の喜びの方が他人の悲しみよりも重いのだ。

喜びの井戸を枯らさないためにも、老いてもできることを増やしていかないといけないと切に思うようになった。

コメント

  1. 老化した後の未来に何も期待しないゆったりとした時間が羨ましくもある

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    1. ゆったりとした時間を楽しむには心身の健康だけは保っておかなくてはな。歩けるうちは何とかなる。お散歩力を鍛えなくては。

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