平成化石7 歌舞伎町のビデオ屋さん編
2000年代中頃の話。
大学に入ったばかりで東京の盛り場への知識もあまりなかったころだった。ぼくは当時の友人宅に遊びに行った。廊下を歩くたびにミシミシ音がなる古い木造アパートで、古い木造住宅独特の臭いが充満した。彼の部屋は四畳半でただでさえ狭いのに物が散乱していて足の踏み場もなかった。
湿った座布団にぼくは座り友人は万年床の布団の上にあぐらをかいた。当時まだ発売されたばかりだった氷結を2人で飲みながら、押入れから出してきた彼の秘密のコレクションを見せてもらった。
それは裏のDVDであった。ネットですらYouTubeがやっと出てきたくらいの時代である。当然その手の動画サイトはそこまで充実しておらず、その手のものはまだDVDが主流だった。
しかし当時のぼくにとって裏のものは週刊誌の噂でしか聞いたことのない都市伝説みたいな存在だった。彼のコレクションはそのどれもが当時の人気セクシー女優や若い世代のもので驚きのあまり腰を抜かしそうになった。
その入手先を訪ねると新宿の歌舞伎町なのだと言う。簡単に買えるからなんならいまから行かないかと彼は言った。しかも彼の家から歩いていけるらしい。
確かに大学近くの彼の家は住所が新宿区であった。でも彼の家の周りは静かな住宅街という感じでまだ土地勘もなかったぼくにとってあのテレビでしかみたことがない本当に歌舞伎町へ歩いていけるのか半信半疑だった。
慣れた足取りで明治通りを南下する彼をただ子犬のように後ろからついて行くしか出来なかった。薄暗い住宅街は気がつくと眠らない街不夜城歌舞伎町の眩しいネオンに変わっていた。
客引きもいまより強引で酔っ払いも強面の人もいまよりはるかに多かった。その間を友人は気にすることもなく横切って進んでいった。
彼は小さな雑居ビルに入って、そこの階段を登った。2階の曇りガラスが貼られたドアの前で立ち止まり、ここだよと言った。
その店には看板も何もなくて入ることに躊躇していると中からサラリーマンが手に袋を持って出てきた。中を覗くとファイルをペラペラめくる客が何人か見えた。
中に入ると友人は常連らしく店長から声をかえられた。壁にはセクシーなビデオのパッケージを印刷したものが隙間なく貼られていた。
店長は40歳くらいの痩せ型で爽やかで人の良さそうな男性だった。彼からファイルを手渡された。その中にはビデオのパッケージと番号が書かれていて欲しいものがあったら番号をメモして店長に渡すらしい。
友人は慣れた手つきでメモを埋めていった。それを店長に手渡すと店長はどこかに電話をかけた。15分くらいで商品を持ってきてくれるという。
ガサが入ったときのためにここには置いてないと言う。そしてパッケージしか見せないのも女の人の裸の写真があると猥褻物陳列罪でパクられるからだめなのだそうだ。
待っている間に店長と友人と3人で購入した客に出すサービスの缶ジュースを飲みながら世間話をした。冗談混じりにここでバイトさせてくれないかとお願いすると店長は意外にも良いよと言った。
店長は時給3千円出すけど捕まるよと笑った。店長も3回ほど捕まったらしい。そのなかで本当にお務めすることになったこともあるらしい。
ぼくはやっぱり辞めますと笑った。
この仕事は儲かると店長は言った。実際儲かるのだろう。店長の絶頂期は店を3軒経営していて日に数百万単位で稼いでいたらしい。そのころ100万円入りのカバンを電車の中に忘れていてしまったけど特に気にならなかったらしい。
そんな絶頂期だったある日、店に本職の方がきた。若い衆をぞろぞろ従えたガタイの良い中年男性にはやっぱり小指がなかったらしい。その本職の方は封筒を差し出してきた。そこには50万円入っていた。この金でこの店を売ってほしいと。
普通に考えたら馬鹿げた話である。しかし店の内容が内容なだけに警察も弁護士も頼れない。当時の歌舞伎町で暴力を持たないものは捕食される運命にあるのだ。
小さい店舗ひとつになってしまったいまは目立つことを極力避けてひっそりと商売をしているのだという。自分と妻が食えるだけ稼げれば良いと。無理矢理奪われた店はその後すぐガサが入って潰されたらしい。警察は本職が経営する店舗には厳しいのだとか。ざまあみろと思ったと店長は笑っていた。
しかしこの生活も長くは続かないと思うと店長は言った。年々厳しくなってきてガサで潰される店も増えたらしい。
実際店長の予言は的中した。当時の石原都知事による歌舞伎町浄化作戦により裏のビデオを扱う店はことごとく潰されていった。
あれから15年くらい経ったいま店長がどこで何しているかわからない。ほかにカタギな商売を見つけて奥さんと仲良く暮らしていてくれたら良い。
帰り際に要らないからといってカモフラージュ用に置いてあったオモテのビデオを3つお土産にくれた。また来ると約束したけど場所がわからなくて2度といけなかった。
どこかの街でふらっと立ち寄った居酒屋のマスターがあの店長だったらと妄想してしまう。そしたらあのときの御礼を言いたい。そしてあのビデオはハードなSMものでぼくにはハードルが高すぎたと文句も言いたい。
ネットでいくら検索しても見られないけれどどうしても観たい一品を歌舞伎町のDVD屋さんに捜し求めたことがあったなあ。自分が行ったところも二階で同じ注文形式だったけれど、商品はすぐ出てきたから乗っ取られた後だったのかな。
返信削除工場が近いか遠いかの差でしょう。あのころの歌舞伎町には100店舗くらいあったね。注文の仕方はどこの街のどの店舗でも大体同じ。マニュアルでもあったんじゃないかな。
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