アイドルが卒業して人生終了

最近気が滅入ることが多くて数日間更新出来なかった。そして今日も某アイドル卒業のニュースでショックを受けているw


オタクの2大ジャンルといえばアニメとアイドルだろう。若いときはアニメはまあまあ好きだったがアイドルには一切興味が無かった。


というか正直いい大人が娘みたいな年齢の少女に熱をあげることを心のどこかでバカにしていた。


そのかわりアニメは30分で終わるという尺的なコンパクトさからちょうど良い娯楽だったし、周りも大抵は話題作程度だとしても観てる人が多かった。


30近くになったころだろうか。友人がひとり、ひとりとアニメを見なくなっていった。たぶん脳が老化したのだろうと思ってた。


そんなときにある友人がアニメを見なくなった。アニメを辞めてアイドルヲタになってと聞いて心底ショックを受けた。そのひとのことは尊敬していただけに軽蔑しているアイドルヲタになったことに納得出来なかった。その人とはよく付き合いでAKBカフェなんかに行ったのだけどアイドルのことは好きになれなかった。


それが去年くらいか、ある日突然ぼくもアニメを観られなくなった。観ても物語に入っていけなくてついついスマホをいじってしまう。1話見逃しても別にいいやってなってしまう。


それに代わってなぜかダラダラアイドル番組を観るようになった。その変化に自分でも驚いている。


自分がアニメを観ないアイドル好きになってしまったからそこ分かることもある。


アニメは可能性の物語である。ある日特殊能力を身につける、ある日美少女と同じクラスになる、ある日大きな陰謀に巻き込まれる、ある日異世界に転生して無双する等。


それは自分の人生にも可能性を感じているからこそ物語の可能世界にワクワクすることが出来るのだ。自分の人生に可能性を感じられなくなった瞬間そこに感情移入が出来なくなってしまう。


それに対してアイドルとは"若さ"なのだ。若くて見た目が美しい人間は若さを最大限に楽しむことが出来る。歌が下手でも踊りが出来なくても、頑張りますで許される世界。少し上手くなれば褒められる世界。これが若さの特権でありアイドルの本質なのではないか。


アイドルがただ街をぶらぶら歩くだけの映像を見てどこが楽しいのだろうか。たしかにそうだ。しかしぼくらはそれを楽しんでしまっている。


それは若さへの憧憬である。彼女らのなかに本質的に物語はない。アイドルでいる以上制約が多く可能性は限定的になる。彼女らは可能性が消滅したディストピアに住み若さの輝きをこちらに送り届けてくれる。


有限な人生において常に可能性が死んでいる。ぼくの可能性も大分死んでしまった。もう可能世界を妄想することは出来ないだろう。ゾンビのように生きながら人形になった存在に若さを供給してもらって生きている。

コメント

  1. 信仰心がないのでアイドルコンテンツを楽しめない。

    返信削除
  2. ラブライブ楽しんでたじゃん。似たようなもんだよ

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

こうして僕は書くしかなくなった

サンディちゃんとウェンディーちゃん

僕が昔住んでいた家の所有者の山下さんはそこらへんの山下さんじゃなかった話