じいちゃんと軍艦旗
どうも、錆田鉄男です。じいちゃんのことを記録しておきたくなったのでじいちゃんのことを書きます。
三年前、じいちゃんが死んだ。93歳であったか、94歳であったかな。死因は老人性白血病と聞いたが大往生の部類だろう。じいちゃんは動物が好きで、晩年は「那智」と名付けた柴犬をとても可愛がっていた。旧海軍の軍艦から取った名前だ。もちろん艦これにハマっていたわけではなく、じいちゃんは大日本帝国時代に海軍に所属していたリアル軍人であったからだ。じいちゃんは「足柄」という重巡洋艦に乗っていた。
じいちゃんの居室にはずっと「足柄」の写真が額に入れられて飾ってあった。亡くなる三ヶ月前、最後に顔を合わせたとき少しだけ「足柄」に乗っていた時の話を聞いた。じいちゃんの鹿児島弁は標準語話者には字幕が必要なほど難しいので、ネイティブじゃない自分は半分くらいしか理解できなかったけれど、それでも面白く聞いた。
マラリアにかかると食べ物が全部苦く感じるけれど、病み上がりに飲んだ葱の味噌汁がものすごくうまかった、ハイナン島のバナナがうまかった、とか食べ物話が多かった。海軍は飯がうまいというのは本当だったのかもしれない。あとは、船の上で相撲をとったとかそんな話もしていたが一番面白かったのは「船の中にラムネ工場があってラムネ作ってた」という話だった。
じいちゃんは上官に気に入られてたそうで、港に着いたときなんかに「ラムネの元」を買い物ついでに調達してくるよう言われ金を渡されたそうだ。詳しい工程は分からないけれど、原液か何かを水で薄めて炭酸を入れて瓶に詰めていたらしい。そうしてできたラムネを隠れて飲むのが最高にうまかったソーダ。ソーダだけに。
軍艦にラムネ工場があるというのを最初はすごく奇妙で面白いなあ、と思ったけれど、壊血病予防にビタミンを含むレモンを船員が食べてたとかいう話は聞いたことあるし、レモネードがなまってラムネになったらしいし、海の男たちがラムネを欲するのは自然なことだったのかもしれないと思った。
じいちゃんは志願兵で横須賀の海軍の学校で砲術を学んでいたそうだ。そう言えば、昔、じいちゃんがつくば万博に行くために上京した際、横須賀の三笠公園に立ち寄り、戦艦「三笠」を見学していたことを思い出した。じいちゃんは戦艦が好きだったのだ。
戦後はサラリーマンや農家をやっていたじいちゃんだったけれど、軍港のあった横須賀は青春の地であり、青春の思い出とともにじいちゃんの魂は軍艦の上にずっとあったんじゃないかなと思う。なぜなら、話の最後にじいちゃんは「死んだら棺に軍艦旗を巻いて送り出してくれ」と言っていたからだ。
戦争についてじいちゃんは孫に多くのことを語らなかった。同じ海軍でも飛行気乗りたちが悲惨な目に遭ったことも当然頭の中にあったはずだし、第二次世界大戦末期に徴兵されて陸軍として最前線の地獄に送られた人たちのことも知らないはずがない。もちろん、軍国主義を賛美することなんて一切なかった。それでも、人生の最期は軍艦旗に抱かれて送られたいと言っていたのだから、軍人という職業に誇りを持っていただろうことは明白だ。戦争という非日常の中にすら「青春」や「日常」はあり、それは必ずしも悲劇一色で彩られていたわけではなかったことが分かる。
葬儀の日、喪服で黒一色の葬列の中に一人、真っ白い服を着た老人がいた。最初は目を疑ったがそれは海軍の制服だった。老人はじいちゃんと同じ年に出征した戦友だった。彼が親族の肩を借りつつ弔辞を読み終えると葬式だというのに拍手が沸いた。同じ集落から出征した戦友は何人もいたけれど、みんな年をとって亡くなり、この老人が最後の戦友である僕のじいちゃんを見送ることになったのだった。
葬儀屋さんは「長年この仕事をやっているけれど葬儀で拍手が起きたのは初めてです」と言っていた。
じいちゃんは遺言どおり軍艦旗に包まれて出棺された。喪主である僕の叔父が「近年何かと取りざたされて気分の良くない人もいらっしゃるでしょうが、父のたっての願いでしたので見送るにあたって軍艦旗を使わせていただくことをお許しください」と弔問客には説明していた。
愛犬「那智」が死んだあとじいちゃんは新しく犬を飼おうとはしなかったが、もし別の犬を飼ったとしたらその名前は絶対に「妙高」か「羽黒」だったんだろうなと今なら分かる。「那智」も「妙高」も「羽黒」もじいちゃんの乗っていた「足柄」の姉妹艦だからだ。恥ずかしながら、じいちゃんが飼い犬に「那智」の名を与えた意味を、僕は最近まで考えたことも無かった。ウィキペディアで「足柄」の「同型艦」の項目にかつての愛犬の名前を見つけて初めて「ああ、そういうことだったのか」と気がついたのだ。
葬儀のあと叔父さんからじいちゃんの死の直前の話を聞いた。じいちゃんは新しく鳥を飼おうとしていたらしい。じいちゃんは鳥も大好きだったのだ。犬の寿命にはもう付き合えないけれど、鳥の寿命ならまだいける。そう踏んだのかもしれなかった。
飼おうとしてしていた鳥の種類を聞いて笑ってしまった。「オオルリ」という日本三鳴鳥の内のひとつ、名前のとおり瑠璃色でとても綺麗な雀みたいな鳥だ。でもね、じいちゃん! それ飼ったらいけないやつだ! 鳥獣保護管理法違反!! もし、じいちゃんの願いがかなっていたら、その鳥こそ「羽黒」だったかもしれない。もっとも、羽の色は黒じゃなくて青だけどね。
三年前、じいちゃんが死んだ。93歳であったか、94歳であったかな。死因は老人性白血病と聞いたが大往生の部類だろう。じいちゃんは動物が好きで、晩年は「那智」と名付けた柴犬をとても可愛がっていた。旧海軍の軍艦から取った名前だ。もちろん艦これにハマっていたわけではなく、じいちゃんは大日本帝国時代に海軍に所属していたリアル軍人であったからだ。じいちゃんは「足柄」という重巡洋艦に乗っていた。
じいちゃんの居室にはずっと「足柄」の写真が額に入れられて飾ってあった。亡くなる三ヶ月前、最後に顔を合わせたとき少しだけ「足柄」に乗っていた時の話を聞いた。じいちゃんの鹿児島弁は標準語話者には字幕が必要なほど難しいので、ネイティブじゃない自分は半分くらいしか理解できなかったけれど、それでも面白く聞いた。
マラリアにかかると食べ物が全部苦く感じるけれど、病み上がりに飲んだ葱の味噌汁がものすごくうまかった、ハイナン島のバナナがうまかった、とか食べ物話が多かった。海軍は飯がうまいというのは本当だったのかもしれない。あとは、船の上で相撲をとったとかそんな話もしていたが一番面白かったのは「船の中にラムネ工場があってラムネ作ってた」という話だった。
じいちゃんは上官に気に入られてたそうで、港に着いたときなんかに「ラムネの元」を買い物ついでに調達してくるよう言われ金を渡されたそうだ。詳しい工程は分からないけれど、原液か何かを水で薄めて炭酸を入れて瓶に詰めていたらしい。そうしてできたラムネを隠れて飲むのが最高にうまかったソーダ。ソーダだけに。
軍艦にラムネ工場があるというのを最初はすごく奇妙で面白いなあ、と思ったけれど、壊血病予防にビタミンを含むレモンを船員が食べてたとかいう話は聞いたことあるし、レモネードがなまってラムネになったらしいし、海の男たちがラムネを欲するのは自然なことだったのかもしれないと思った。
じいちゃんは志願兵で横須賀の海軍の学校で砲術を学んでいたそうだ。そう言えば、昔、じいちゃんがつくば万博に行くために上京した際、横須賀の三笠公園に立ち寄り、戦艦「三笠」を見学していたことを思い出した。じいちゃんは戦艦が好きだったのだ。
戦後はサラリーマンや農家をやっていたじいちゃんだったけれど、軍港のあった横須賀は青春の地であり、青春の思い出とともにじいちゃんの魂は軍艦の上にずっとあったんじゃないかなと思う。なぜなら、話の最後にじいちゃんは「死んだら棺に軍艦旗を巻いて送り出してくれ」と言っていたからだ。
戦争についてじいちゃんは孫に多くのことを語らなかった。同じ海軍でも飛行気乗りたちが悲惨な目に遭ったことも当然頭の中にあったはずだし、第二次世界大戦末期に徴兵されて陸軍として最前線の地獄に送られた人たちのことも知らないはずがない。もちろん、軍国主義を賛美することなんて一切なかった。それでも、人生の最期は軍艦旗に抱かれて送られたいと言っていたのだから、軍人という職業に誇りを持っていただろうことは明白だ。戦争という非日常の中にすら「青春」や「日常」はあり、それは必ずしも悲劇一色で彩られていたわけではなかったことが分かる。
葬儀の日、喪服で黒一色の葬列の中に一人、真っ白い服を着た老人がいた。最初は目を疑ったがそれは海軍の制服だった。老人はじいちゃんと同じ年に出征した戦友だった。彼が親族の肩を借りつつ弔辞を読み終えると葬式だというのに拍手が沸いた。同じ集落から出征した戦友は何人もいたけれど、みんな年をとって亡くなり、この老人が最後の戦友である僕のじいちゃんを見送ることになったのだった。
葬儀屋さんは「長年この仕事をやっているけれど葬儀で拍手が起きたのは初めてです」と言っていた。
じいちゃんは遺言どおり軍艦旗に包まれて出棺された。喪主である僕の叔父が「近年何かと取りざたされて気分の良くない人もいらっしゃるでしょうが、父のたっての願いでしたので見送るにあたって軍艦旗を使わせていただくことをお許しください」と弔問客には説明していた。
愛犬「那智」が死んだあとじいちゃんは新しく犬を飼おうとはしなかったが、もし別の犬を飼ったとしたらその名前は絶対に「妙高」か「羽黒」だったんだろうなと今なら分かる。「那智」も「妙高」も「羽黒」もじいちゃんの乗っていた「足柄」の姉妹艦だからだ。恥ずかしながら、じいちゃんが飼い犬に「那智」の名を与えた意味を、僕は最近まで考えたことも無かった。ウィキペディアで「足柄」の「同型艦」の項目にかつての愛犬の名前を見つけて初めて「ああ、そういうことだったのか」と気がついたのだ。
葬儀のあと叔父さんからじいちゃんの死の直前の話を聞いた。じいちゃんは新しく鳥を飼おうとしていたらしい。じいちゃんは鳥も大好きだったのだ。犬の寿命にはもう付き合えないけれど、鳥の寿命ならまだいける。そう踏んだのかもしれなかった。
飼おうとしてしていた鳥の種類を聞いて笑ってしまった。「オオルリ」という日本三鳴鳥の内のひとつ、名前のとおり瑠璃色でとても綺麗な雀みたいな鳥だ。でもね、じいちゃん! それ飼ったらいけないやつだ! 鳥獣保護管理法違反!! もし、じいちゃんの願いがかなっていたら、その鳥こそ「羽黒」だったかもしれない。もっとも、羽の色は黒じゃなくて青だけどね。
コメント
コメントを投稿