平成化石作り

あとひと月余りで平成が終わる。ぼく自身は昭和産まれてだが昭和の記憶は、ほとんどない。記憶の99%が平成の時代だ。鉄男くんが言ってた未来に残る化石としてのブログなら平成の最後に平成を生きた思い出を記していこうと思う。


ここでの思い出とは正確な過去ではない。あくまで"思い出"としての記録だ。例えば、ぼくはバブルの時代について語るのが好きだがその時代をベビーカーの中で経験した。だから思い出としてのバブルはない。ぼくが語るバブルはデータや資料でしかない。例えそれが正確であったとしても"思い出"のなかにそれはない。


この平成でもデータはあるし、平成が終わった後に平成を総括して資料価値の高い研究がなされることだろう。それは専門家に任せるとする。


ぼくのやろうとしてるのは不正確でバイアスのかかった"思い出"なのだ。


これから1ヶ月の間、平成が終わるまで平成の思い出を語りながら平成の時代に自分なりの別れを告げたいと思う。


最初に書きたいのは平成のはじまりについてだ


これについてはあまりに幼いころの思い出だから不正確なところも多いだろう。


これは平成がはじまる少し前、ぼんやりと思い出すのは、朝、家に家族全員がいたことに驚いたことだ。どうやら仕事も学校も休みらしいということ。


生家のマンションから街を眺めても誰も歩いていなかった。もちろんぼくの家族もみんなお茶の間でテレビの画面を凝視していた。


幼いぼくには何が起こっていたのかあまり良く分かっていなかった。しかし天皇が亡くなったことだけはなんとなくわかった。


「平成」の文字を掲げる小渕元首相なんかは記憶にない。ぼくはきっと興味が全くなかったのだろう。


平成元年と言えば思い出すのが近所に住んでいた幼馴染の女の子に妹が産まれたことだ。


母親に連れられて電車で何駅か行ったところの病気に赤ちゃんを見にいったことがあった。


産まれたばかりで小さいベッドに寝ている幼馴染の妹を眺めながら彼女とは生きる時代が違うのだということを考えていた。


老人と言えども産まれた年が「明治」か「大正」かではかなり印象が違う(当時昭和産まれは全員まだ老人という歳でもなかった)。ぼくは「昭和」産まれであるがゆえに老人になったとき「平成」産まれの彼女らより老人に思われることになるのかなと子供ながらに考えていたのを覚えている。


その赤ん坊はいまどこで何をしているのかわからない。しかし平成20年のときも平成30年のときもあの子がハタチになったとか三十路になったとか、ふと思い出してしまう。


コメント

  1. 平成始まったときは文字通りお葬式ムードだったね。テレビをつけてもどのチャンネルも映っているのは葬列のみ。子供にはひたすら退屈で、正月だったから外に行ってずっとコマ回して遊んでた。退屈だったのは大人も同じでレンタルビデオ屋が繁盛したそうだよ。

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  2. その時代にレンタルビデオ屋があったんだね。そこらへんの時代考証は不正確なところもある。紅白もやるかやらないか揉めたとかなんとか。

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