人生が終わる

3月2日と3月3日は祖父母の命日だ。


命日が近すぎてどっちがどっちかは忘れた。


しかも1年違い。


幼稚園児だったぼくは親に連れられて夕方実家から歩いて15分くらいのところにある病院に向かったのを覚えている。


祖母のベッドの周りには親戚一同集まっていて


離れて住んでた半身不随の祖父までいた。


子供ながらにも祖母が死んだことはわかった。


死んだのは前日の夜中らしいけど、夕方にぼくが連れて来られたのは、霊安室に遺体を持って行く前に最期のお別れを親戚一同でしたかったのだと思う。


祖母に可愛がられていたけどそこまで悲しくは無かった。それよりこれでガン消し買ってくれる人がいなくなったことのほうが重要だった。


そもそも周りの大人たちも80半ばの老人が死んで、悲しいよりこれで介護から解放される安堵のほうが大きいように感じた。


老人の死なんてそんなもんだろう。


生産する能力がない存在の死は哀しみより安堵が先にくる。


きっと長年引きこもっている子供が首括っても親兄弟悲しさよりも安堵が先にくるだろう。


だがひとりだけ祖父だけは自らの死が近いことを感じて表情を強張らせていた。


祖母の死から祖父は我が家に住むことになったのだがそれから丸1年最期の日々を死の恐怖と共に過ごしていた。


老人が穏やかに最期の日々を過ごすなんてウソであって死の恐怖から泣き叫んでいたのをよく覚えている。


何かとひとりになりたがらなかったのもこれこら訪れる永遠の孤独への恐怖からだと思う。


宗教熱心な母親が祖父に天国を説いて宥めていたけどそれが祖父の心に響くことはなかった。


そもそも死後の世界が不安なんじゃなくて"死"そのものが恐怖なのだ。


仮に死後の世界で処女72人とセックス出来ると確定していたとしても死は恐怖でしかない。


祖父は秋過ぎたころから何度も危篤になっては蘇生するを繰り返してついに祖母の命日の1日違いの日に亡くなった。


仲の悪い夫婦だったからそこにロマンティックな意味は全くないだろう。


ようやく祖父は恐怖から解放された。


ぼくも人生消化試合だと思っていても首綴ることはない。


希望があるのではなく死が怖いからだ。


そしてそれが迫っているとも思いたくない。


とにかくそれを忘れて毎日を微々たる快を舐めるように掬いながら生きている。


それでも死は避けられるものでもないから


死ぬ瞬間は在原業平の辞世の句の


「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど

 

 昨日今日とは 思はざりしを」


みたいな気持ちで死ぬことになるのだろうな。

コメント

  1. 日陰くん、僕が死んだらこのブログを頼むぞ。
    死後の世界で熟女72人とセックスして君が来るのを待ってるよ。

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  2. ムスリムに改宗してから死なないと高齢処女72人とセックスできないよ

    返信削除

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