ゼロになるからだ充たされてゆけ

どうやら平成が終わる前に預金の寿命が終わることが確定した錆田鉄男です。

僕は心が叫びたがってる時にはよく一人でカラオケに行くのだけれど、必ず、覚和子さんの「いつも何度でも」をう。言わずと知れた「千と千尋の神隠し」の主題だ。カラオケに行くたびに歌うので、まさに、いつも何度でも、なのだ。

そもそも、カラオケなんて一人じゃ行くものじゃないと思っていたし、人と行くカラオケも全く好きじゃなくて、特に大人数で行くカラオケが大嫌いだった。他人がう知らないを聞くのも苦痛だし、興味が無いのにノッた振りをするのも苦痛だし、かといって誰かがっているのに全く聴かないでデンモクで次にう曲を一心不乱に検索して最後にパチパチパチと三回くらいおざなりに手を叩いている人を見るのも苦痛だし、僕がう番になるとみんなトイレに立つのが何より苦痛だった。

カラオケ屋の個室内のストレスの総量は変化しない。みんながって発散したストレスが全部自分に流れ込んでくる。エネルギー保存の法則にも似たストレス保存の法則があの場を支配していることを真理として疑わなかった。

なぜ、そんなカラオケ嫌いの僕がカラオケ屋に行けるようになったかというと近年日本の夏を襲う酷暑のせいだ。四年前の八月、ビル設備保守会社で働いていた僕は常駐先の会社の上司(仕事中に飲酒する元自衛官)のパワハラにより心身を壊して適応障害の診断が下され休職中した。僕と同じアパートに住むTくんは大学時代からの友人で、部屋にこもりがちな僕を時々外に連れ出してくれた。

今考えると恐ろしいことだが僕の部屋にもTくんの部屋にもクーラーが無かった。なので生命の危機を感じるような酷暑の日にはカラオケ屋に二人で避難するようになった。カラオケ屋にいるのだから、マイクを握っていだすのも自然な成り行きだった。彼とは気心の知れた仲だ。おうが寝てようが知らない曲をおうがスマホをペタペタ触ってようがアニソンをおうが飲み放題のドリンクを追加注文しようが筋肉少女帯をおうが自由だった。気を使う必要なんて無かったのだ。Tくんとのカラオケを通じて「ストレス保存の法則」が絶対真理でないことを初めて知った。

秋になって仕事に復帰した僕は客先常駐の仕事ではなく、本社で教育係を担うことになった。前任者が鬱で仕事に来なくなり、教育担当の上司は二ヶ月後に定年退職を控え、銀行から中途入社した部長が「これからはeラーニングの時代だ」とか言っているような、地雷原で働くことになった。

前任者が傷病手当の手続きのついでに会社にやってきたとき、強迫観念に駆られたのか神の啓示を聞いたのか分からないが自分の映っている写真という写真、自分で作った資料という資料を共有フォルダとノートパソコンから抹消したので、僕は困った。

定年間近の上司はいい人だったが如何せん引継ぎの時間が十分とは言えず、僕は困った。彼とは外回りで一緒に電車に乗ることが多かったが、電車に乗る前、降りた後、客先に向かう直前、よくトイレに駆け込んでいた。彼も大分困っていたのだと思う。

上司が定年を迎えた後は僕を十倍くらいポンコツにした社員が教育担当に送り込まれ、いらない仕事を増やしてくれたので、僕は困った。

ビルメンテナンスの現場は客先の設備によってネット環境があったりなかったり、まちまちで、わが社はそもそも社員ひとり一人にメールアカウントすら割り当てられていないような、IT発展途上会社だった。使える有線の回線が無くガラケーのメールで業務連絡を行っている事業所もあった。

社内サーバーを弄れるのも、パソコンのセッティングができるのも総務の男性一人だけしかいないというよくある危なっかしい中小企業だ。彼の身に何かあったら電話とFAXと郵便の時代に即日逆戻りだ。とてもじゃないけれど「eラーニング」なんか導入するのは時期尚早もいいところなのに教材を作り社員に普及を図らなくてならず、僕は困った。

一番僕が嫌だったのは、有名テーマパークに常駐し過酷なシフトをこなしている夜勤明けの社員の退勤後に「報連相」だの「電話の応答の仕方」だのといった教育ビデオを見せて感想文を書かせるという拷問の仕事だった。受講者は寝るに決まっているし、早く家に帰し休ませるべきだ。こんなのは意味が無いばかりか害でしかない。拷問官の才能もサディストの才能も無かった僕は誰も幸せにならないこんな馬鹿げた「研修」をやめるよう上に掛け合って廃止に持ち込んだ。僕があの職場で唯一残した功績があるとすれば、これだけだろう。

僕は困るたびに定時で退社し、カラオケ屋に駆け込んだ。とにかく大声を出したかった。叫んだ。「氷の世界」を叫んだ。「銀輪部隊」を叫んだ。「戦え!何を!人生を!」を叫んだ。「タチムカウ」を叫んだ。「労働者M」を叫んだ。「ペテン」を叫んだ。「キノコパワー」を叫んだ。「機械」を叫んだ。とにかく筋肉少女帯のを叫んだ。

ストレスが大きいほど声が大きく伸びやかに出るのが不思議だった。僕はどんどんがうまくなった。この会社にこのままいたらプロの手になってしまうのではないかと思った。

カラオケ屋に行かない日はメンタルクリニックに重い足取りで向かった。役に立たない医者のアドバイスと処方箋を受け取るためだった。再び薬がないと眠れなくなっていた。

その日は、筋肉少女隊の「僕のを総て君にやる」を叫んでいた。
さみしくてさみしくて十六夜の
闇の空で泣ける僕は
セラピストにも月一度は会うし
薬は常備三種類
歌詞がばっちり自分の置かれた状況と重なり胸を打たれて不覚にも泣いてしまった。ああ、僕はもうだめなんだな、と悟った。あの時の気持ちを思い出してこうして文章をしたためているだけで涙が出そうになる。いや、嘘をついた。涙がこらえ切れなくなる。


薬が三種類から四種類に増えてしばらく経つと僕がえる時間はだんだん短くなって行った。最後の方は十分もっていると顔面が、口が、舌が、手足の末端が、しびれて動かなくなって行った。酸欠を起こしているのかと思って必死に呼吸していたが、今思うと過呼吸を起こしていたのだと思う。薬の副作用なのか自律神経がイカれたのか、息を吸って吐くことが下手になっていたらしかった。

えなくなった僕は布団から起き上がれなくなり会社にいけなくなり有給も無くなり退職した。残念ながら手にはなれなかった。




それから僕は十分すぎる休息期間を経て、再びカラオケ屋でえるようなった。だが、ストレスに押し出された鬼気迫る声はもう出せない。でも今ならTくん以外の誰かとカラオケにいっても普通にえるだろうし、「日本印度化計画」を人前で披露して場を沸かすか凍りつかせるかして普通に楽しめると思う。


「いつも何度でも」の詞は、一回死んで生き返った僕に良くなじんでいて、っているととても気持ちがいい。そして今の僕は銀行口座も限りなくゼロに近づいていて、なんだかとっても清々しい! ゼロになる口座 充たされてゆけ!

今月末は金策に走るよ。


コメント

  1. 筋肉少女隊の曲は一曲も知らないけど歌手の夢は諦めないで下さい。

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    1. 嫌々働いてストレス溜めないといい声で無いから無理。

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