好奇心なくなって人生終了

昨日の話と近いのだけど、


ひとは好きなことは放っておいても学習していく


逆に言えば好奇心が湧かないことを学習するのは苦痛だ。


よく同じ話を何度もするひとがいる。


昔はそういうひとは記憶力がないのかと思ってたけどそれは違う。


誰しもひとに話した内容なんてすぐ忘れてしまうから記憶力なんて関係ない。


同じ話を何度もするひとは単に新しい話題がないのだ。


新しいことに挑戦したり勉強したりすることがなくなる段階が初期症状だとして


時事的な話題も他人の噂話にも興味をなくし、


最終的に食べ物も異性にも新しいものには興味がなくなる。


そうなると末期症状だ。


何年か前に同じ話を何度もする知り合いのガラケからiphoneへの機種変を手伝ったことがある。


最新兵器iphoneを手にしたその人がなにをしていたかというと自分の思春期ころに観たテレビ番組をYouTubeでひらすら観るということだった。


彼にとってアイドルとは坂道でもAKBでもハロプロでもなくおニャン子だった。


どうせならいまのアイドルも見てみたらどうかと提案したら彼は「興味ない」と。


好奇心が消えることは脳の老化なのかそれとも日頃の疲れが原因なのか分からない。


過去に生きることは現在に死んでいるということだ。


聞き手にとって何度も聞かされてうんざりするような内容でも過去の中に生きているその人にとってはホットな話題なのだろう。


もう閉店した飲食店の味もいまや中年となっている過去のアイドルもホットな話題だから何度も話してしまう。


しかし時代は確実に変わっている。


キャッシュレス化の流れが出来た2019年において混雑しているコンビニの列の中にいてレジで支払いをしている人が小銭を1枚1枚出していると少しイラッとしてしまう。


PCを使えないベテラン社員は職場の邪魔でしかない。


いまを生きるって実はのんびりとした時間にどうでも良いことを調べる余力が重要なのではないか。


ネットで新しい情報にわくわくしたりググったりそれを試してみたり。


ぼくが散歩したりぼんやりしたりダラダラしたりするのも好奇心を枯らさないためのメンテナンスだったりする。


ぼくの父親は何度も同じ話をするタイプのひとだったからぼくにとって好奇心が枯れることは何よりの恐怖だ。


あと何年生きられるかわからないが残りの人生も新しいことにわくわく出来る自分でいたい。

コメント

  1. 日陰くんが僕の悪口書いてると思ったけれど、どうやら別の人のことのようだ。
    あぶなかった。

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  2. 鉄ちゃんは同じ話あんましないじゃん

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