人生終了 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 月曜日, 2月 25, 2019 どうも動く死体こと日陰です。これから人生終わったーずとしてブログ投稿していきます。よろしく リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
こうして僕は書くしかなくなった - 水曜日, 3月 13, 2019 どうも、ポンコツ無職のスペシャリスト錆田鉄男です。 失業した僕に以前、叔父が言った。 「好きなことがあるなら乞食になってでもそれをやれ。好きなことが無いなら楽な仕事をやれ」 至言である。 人生は切り立った崖であり、「好きなこと」はそこを登っていくための取っ掛かりであり足場である。そして崖の下で人生に対するアプローチを見つけられず途方にくれていたのが僕であった。 自分にはこれと言って大好きなことがなかった。それなりに好きなことはあったが、趣味と呼べるくらいのめり込んできたことが無い。ゲームもアニメも漫画も嗜んできたがオタクにはなれず中途半端であった。 そんな僕を昔付き合っていた女性は「専門性の無いオタク」と的確に評した。慧眼だった。とりえの無いオタクっていいとこ無しじゃん! オタクっぽくて気持ち悪いだけじゃん! 今も彼女の言葉が心に刺さって抜けない。その彼女にはすぐ振られた。 移ろいやすい心を有する人間という不安定な存在に人生クライミングの足場を任せるわけにはいかない。昔のアニメでよく見る「色の違う岩」みたいに崩れやすいのだ。アイドルを崇め奉り布施を欠かさず、ライブに必ず足を運ぶ熱心な信者がうらやましい。皮肉ではなく心底そう思う。自分には信仰心が無い。 では組織に属することはどうか。小中高そのどの時期も「愛校心」を感じたことはほとんど無い。大学時代も同じく自分の所属する大学の野球チームや駅伝チームの勝敗に全く関心が持てなかったし、応援に行こうとすら思わなかった。 会社もそうだ。正社員として二度就職し二度退職して、派遣会社で仕事したりしなかったりを経験した結果、働くことが向いていないことが判明したばかりで好きなことは見つからなかった。むしろ働けば働くほど会社を憎むようになった。働いていた場所は漏れなく「不浄の地」となり、嫌いな場所が増え生きにくくなっただけだった。 三年前、職場の上司から退職を勧める電話を布団の中で受けてからこっち、ずっと好きなものを探したが布団の上と夢の中にしか居場所を見つけられなかった。 一度辞めた株式取引にも再び手を出したが結果は「 アキュセラ逃げ場なしの6日連続ストップ安 」という憂き目に遭い退場した。そう言えば前回株を辞めたときはライブドアショックの時だった。株式市場にまで嫌われるに至っては、もう人生に向... 続きを読む
サンディちゃんとウェンディーちゃん - 木曜日, 6月 06, 2019 どうも、ご無沙汰しております、好きなドラクエのキャラクターは サンディ ちゃん、好きなハンバーガーチェーンのキャラクターは ウェンディー ちゃんの錆田鉄男です。 ドラクエ10の廃人で引きこもりの44歳が農水省元事務次官の父親に刺し殺された事件 を目にして、最初に思ったことは「ハマったのがドラクエ9だったらこんなことにならなかったかもしれないなあ」だった。 僕も10年前、引きこもりだった。2009年のことだ。 一人暮らしの引きこもりだったので最低限の衣食住をまかなうだけの外出はしたが髪も髭も伸び放題で、声を発する機会もコンビニやファストフードで買い物するときだけだった。 春に仕事をやめてからずっとゲームをしていた。やりこみゲーで有名な同人サークルの「 犬と猫 」のゲームをひたすらやっていた。『レミュオールの錬金術師』、『水色の塔』、『水色散歩道』、『海洋レストラン海猫亭』、『リミットレスビット』、『ハーヴェストグリーン』などなど。ゲームは通販やダウンロード販売で手に入れるので当然家から一歩も出る必要がなかった。 7月。ドラクエ9の発売が世間をにぎわせていたがニンテンドーDSを持っていなかったので、ネットでフリーゲームを渉猟したり、昔やった 鉄鋼団 の『Kinoko』『Kinoko2』『Kinoko3』を引っ張り出してきて遊んでいた。 9月。灰色の引きこもり人生にも少し楽しみな出来事があった。『 サガ2秘法伝説 』のリメイクが発売されたのだ。ゲームボーイ世代なら分かってもらえると思うが、サガ2は当時のゲーム少年のハートを虜にした名作RPGである。僕は三十歳のおじさんになっていたが久しぶりに少年のようなワクワク気分で、ニンテンドーDSi本体と『サガ2』のリメイク版のソフトが同梱されたセットを買った。 SaGa20周年記念モデルのかっこいいニンテンドーDSi 発売から1週間もせずにクリアし2週間もすればやり込み要素もだいたい遊び尽くしてしまった。投資額に見合う楽しさはあったものの、ずっと飽きずに遊べるものではなかった。そもそもストーリーは少年時代にすでに経験したもので、追加要素もそう多くは無かったからだ。 お祭りが終わった後の寂しい気分を味わい、心に穴が開いてしまった。 そこで目をつけたの... 続きを読む
僕が昔住んでいた家の所有者の山下さんはそこらへんの山下さんじゃなかった話 - 土曜日, 4月 27, 2019 となりのトトロを観ると昔住んでいた家を思い出して懐かしい気分になる錆田鉄男です。 僕は神奈川県の逗子という町の海の近くで育った。そして、小学校低学年まで住んでいたその家は少し変わっていた。特徴を一言で言うと「ものすごく古い日本家屋」である。戦前か戦後か分からないけれど昭和初期の建物で間違いなさそうだった。 玄関は土間だし、風呂は薪で沸かす五右衛門風呂だった。網戸みたいな便利なものはなかったし、縁側のサッシは木製でガラスを固定してるのはゴム製の樹脂ではなく、漆喰みたいな白い何かだった。鍵にいたってはねじ締り錠だった。雨戸は木製で開け閉めするたびに棘が手に刺さった。戸袋に雨戸をしまうのは小さい子供にはなかなかの難作業であった。 これだけ聞くとボロ屋のように思えるが、さにあらず。部屋数は多く、使ってはいなかったが囲炉裏もあり、トイレは三つ。和式、男子小用の朝顔便器、二階には洋式。電話も二台あった。庭には松や紫陽花や紅葉やシュロが植わっており、裏庭には桑や梅の木があった。そうそう、封鎖されていたが井戸もあった。 そして、なんといってもこの家には「離れ」が存在しそちらは昭和五十年前後に建てられた洋風の新築の家になっており、子供の目にもひと目でいいものだと分かる、ホテルにおいてありそうなモスグリーンの豪華なベッドとガス給湯のひのき風呂が付いていた。 これを聞けば、まるでお金持ちの家じゃないか、と思うことであろう。事実お金持ちの家に住んでいたのである。ただし、僕の家はお金持ちではなかった。錆田一家は「 山下さん 」の家に住んでいたのだ。 先ほど二台電話があると書いた(離れも入れると本当は三台)が、片方の電話は錆田家の電話で、もう一方の電話は「 山下さん 」の電話だった。幼かった自分には 山下さん が何者か分からなかったけれども、もう一方の電話に出るときは「 山下 です」と応答するように躾けられた。そして、同時に離れの新しいほうの家には足をあまり踏み入れないようにも言われた。 幼い子供というのはあるがままに世界を受け入れるので、長じるまで特にこの家に疑問を持たなかった。何せ庭が広くて、蟻もトカゲもだんごむしもカタツムリもマムシもいれば、近所の猫も遊びに来るし、縁の下の砂の下には蟻地獄や地蜘蛛もいて生き物の観察がし放題。梅雨が明ければ梅の実で梅ジュースが... 続きを読む
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