人生終了 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 月曜日, 2月 25, 2019 どうも動く死体こと日陰です。これから人生終わったーずとしてブログ投稿していきます。よろしく リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
神田川沿いを歩いてたら日本人は僕だけで他はみんな外国人だったりした話 in 高田馬場 - 木曜日, 3月 21, 2019 どうも、共同トイレ共同シャワーで家賃39300円(共益費込み)、築40年超のアパートに住んでおりますが外国人留学生の方が僕よりもいい家に住んでいるよねと思う錆田鉄男です。 成人式の日になると「東京都新宿区の新成人は半数が外国籍」というニュースが話題になるようになった。僕の記憶が確かならば 去年もニュース になったし、 今年もニュース になった。僕が住む高田馬場はまさに新宿区である。もっとも、このニュースを聞いても驚くこともなく、むべなるかなと思うばかりだった。 七年くらい前だったろうか。僕は派遣会社を辞めたので、国民健康保険の手続きをしなければいけなくなり、歌舞伎町にある新宿区役所に赴いた。年度初めの四月であったため各種手続きの窓口は大変混雑しており、ロビーには日本人はもちろん外国人も沢山いた。 普通なら健康保険の切り替え手続きなんて簡単に済むのだが、外国人が多いためか窓口の職員が苦戦しており、スムーズに人が流れていないようだった。僕の前には、 日本 語が流暢でないため知り合いの 日本 人を通訳につれて保険料を払う払わないと喧々諤々やっている外国人がいた。話を聞いているとどうやら保険料を長年滞納しているらしく、職員が納付を迫っているようだった。昔の分はチャラにしてやるからここ二年分は払え、せめて一年分は払え、みたいな話をしていた。 ああ、長くなりそうだなあとうんざりしていると別の職員に声をかけられ「 日本 人の方は分庁舎に行って下さい。そちらの方が早いですよ」と言われた。なんだか面白くない気分だが、その助言に素直に従った。鳩山由紀夫民主党幹事長が「 日本 列島は 日本 人だけの所有物じゃない」と言っていた意味を体感した。新宿区役所は 日本 人だけのものではないのだ。僕は結局自宅最寄りの分庁舎で健康保険証を受け取った。 僕の家の近くには 日本 語学校が多い。平日のお昼、お弁当を買いに行こうと僕が外に出れば、これまた昼食の調達に向かう 日本 語学校の生徒がわいわいと外に出てくる。神田川沿いを歩く 日本 人は僕だけ。自分以外全員外国人だったりすることもままあって、「どこの国やねん」と心の中で思わずツッコミを入れてしまうことも何度かあった。圧倒的マイノリティー体験である。 これがどういうことを意味するかというと、うちの近所の サ... 続きを読む
人生で一番猫に囲まれた日 - 月曜日, 3月 04, 2019 どうも錆田だよ。来世はお金持ちの家の 猫 になってCIAOちゅーるいっぱい食べて一日中寝てたいです。 2011年の秋ごろだったかな。当時の僕は派遣社員として池袋サンシャイン60の一角で働いていたんだ。事務作業だったのだけど女性ばかりの職場で、なんだか居心地が悪くてお昼はいつも一人で外に食べに出ていたんだ。 東池袋中央公園は、晴れた日にお弁当を食べるのにちょうどいい感じの公園で、昼時になると僕と同じようにお弁当食べる労働者が集まってきたよ。それとこの公園はやたらと人懐こい野良 猫 たちが住み着いていてね、みんなに可愛がられていたよ。 今は撤去されてなくなってしまったけれど、当時はアウトドア生活を送る先輩たちのブルーシートのお家もあってね、豊かな公園だったんだ。あ、「先輩」って言うのは錆田と日陰くんの間で「ホームレス」に対して使ってる愛称だよ。敬意と畏怖を込めてそう呼んでるよ。何より明日はわが身、自分もいつホームレスになるか分からない身の上だからね。現在貯金残高14万円だし。皮肉でもなんでもなく僕の前を歩く人生の先輩だよ。 ここの野良 猫 が異常に人懐こかったのは多分先輩たちが愛情を注いでいたことも一因だと思うよ。 まあ、そんな前置きはおいておいて にゃんこ の写真を見ていこう。 その日は件の公園でファミリーマートのから揚げ弁当を食べようとしていたんだ。 本当はセブンイレブンのから揚げ弁当のほうが好きだったんだけど、 サンシャイン60はファミマの本社が入っていたからファミマしかなったんだよね。 こんにちは、こんちには、 ベンチに座り弁当のふたに手をかけようとすると 猫 が忍び寄ってくる。 レンジでチンされた熱々のから揚げが にゃんこ たちの嗅覚を刺激する。 ぞくぞくと集まる にゃんこ 軍団。 おい、てめーなに撮ってんだ、から揚げ一個で許してるよ的な眼光。 いなばが世に送り出した比類なき キャット フードCIAOちゅーるを 人類が手にするのは2012年のことなので、この時はまだなかった。 すみませんマヨネーズで許してください。 あ、だめですか。気に入らないですか。 山賊 猫 と貧乏派遣社員による貴重なたんぱく源... 続きを読む
サカナとヤクザ - 月曜日, 5月 13, 2019 鈴木智彦さんの「サカナとヤクザ」で銚子の話が面白かった。戦前戦後の漁港は暴力で支配された修羅の国だったときの話だがこれが昔話だとしても日本のこととは思えないくらい闇が深い。 もともと昔の漁師の気質自体が死と隣り合わせな生活からか命知らずで向こう見ずななヤクザ気質だったらしい。 喧嘩や殺傷沙汰も日常茶飯事で街のことを告発した記者は日本刀で顔面を真っ二つにされ、銚子に潜入した記者は1日目にして何件もの大乱闘を目撃することになる。 そんな銚子を支配していたのが高橋寅松、通称高寅というヤクザだった。 彼は明治39年(1904年)銚子に生まれ東京で育ったが地元に帰り地元組織から盃を降ろされてヤクザとなった。その後独立した高寅は銚子の売春街田中町を縄張りとしていたが、銚子の繁華街があった飯沼観音周辺を抗争により手中に収める。 高寅が凄いのはここから漁業を牛耳り市長含めた政治家や警察にまで影響力を持つまでに至ったことだ。 当時の漁師は取れた魚の歩合でもらえる賃金の他に「分け魚」と呼ばれていた魚をいくらか分けてもらうシステムがあったそうだ。彼らはそれを換金して日銭に変える。もともとその頃の漁は今よりもずっと危険で実際死亡者も多かった。明日をも知らぬ身なのだから彼らとしては後で支払われる賃金よりこのほうがありがたかった。日銭を握りしめて彼らは高寅の経営する賭場に通っていた。博打は最大の娯楽だった。もちろん賭場に通う客には、日銭に暮らす漁師だけではなく網元や船主もいた。 水戸黄門の悪役が開いている賭場をイメージすれば分かりやすいが昔の博徒は負けた客に金を貸し出すこともやっていた。それどころか網元や船主のような太客には「回銭」という軍資金をあらかじめ用意をして貸し付けていたそうだ。しかし負けが込んでしまって返済出来なければ当然担保ごと高寅のものになる。そうやって高寅の所有する船は増えていった。 しかし彼が漁師たちの長者になれたのは暴力の力だけではなかった。そのとき労働運動家が漁師たちを焚きつけて漁業の労組を作った。そこで大規模なストライキまでやって活動家の主張する賃上げを資本の側に飲ませたのだが、それによって逆に分け魚の量を減らされてしまった。 現場の漁師たちにとってはいい迷惑である。もちろん資本家や国にとってもそ... 続きを読む
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