人生終了 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 月曜日, 2月 25, 2019 どうも動く死体こと日陰です。これから人生終わったーずとしてブログ投稿していきます。よろしく リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
人生で一番猫に囲まれた日 - 月曜日, 3月 04, 2019 どうも錆田だよ。来世はお金持ちの家の 猫 になってCIAOちゅーるいっぱい食べて一日中寝てたいです。 2011年の秋ごろだったかな。当時の僕は派遣社員として池袋サンシャイン60の一角で働いていたんだ。事務作業だったのだけど女性ばかりの職場で、なんだか居心地が悪くてお昼はいつも一人で外に食べに出ていたんだ。 東池袋中央公園は、晴れた日にお弁当を食べるのにちょうどいい感じの公園で、昼時になると僕と同じようにお弁当食べる労働者が集まってきたよ。それとこの公園はやたらと人懐こい野良 猫 たちが住み着いていてね、みんなに可愛がられていたよ。 今は撤去されてなくなってしまったけれど、当時はアウトドア生活を送る先輩たちのブルーシートのお家もあってね、豊かな公園だったんだ。あ、「先輩」って言うのは錆田と日陰くんの間で「ホームレス」に対して使ってる愛称だよ。敬意と畏怖を込めてそう呼んでるよ。何より明日はわが身、自分もいつホームレスになるか分からない身の上だからね。現在貯金残高14万円だし。皮肉でもなんでもなく僕の前を歩く人生の先輩だよ。 ここの野良 猫 が異常に人懐こかったのは多分先輩たちが愛情を注いでいたことも一因だと思うよ。 まあ、そんな前置きはおいておいて にゃんこ の写真を見ていこう。 その日は件の公園でファミリーマートのから揚げ弁当を食べようとしていたんだ。 本当はセブンイレブンのから揚げ弁当のほうが好きだったんだけど、 サンシャイン60はファミマの本社が入っていたからファミマしかなったんだよね。 こんにちは、こんちには、 ベンチに座り弁当のふたに手をかけようとすると 猫 が忍び寄ってくる。 レンジでチンされた熱々のから揚げが にゃんこ たちの嗅覚を刺激する。 ぞくぞくと集まる にゃんこ 軍団。 おい、てめーなに撮ってんだ、から揚げ一個で許してるよ的な眼光。 いなばが世に送り出した比類なき キャット フードCIAOちゅーるを 人類が手にするのは2012年のことなので、この時はまだなかった。 すみませんマヨネーズで許してください。 あ、だめですか。気に入らないですか。 山賊 猫 と貧乏派遣社員による貴重なたんぱく源... 続きを読む
サカナとヤクザ - 月曜日, 5月 13, 2019 鈴木智彦さんの「サカナとヤクザ」で銚子の話が面白かった。戦前戦後の漁港は暴力で支配された修羅の国だったときの話だがこれが昔話だとしても日本のこととは思えないくらい闇が深い。 もともと昔の漁師の気質自体が死と隣り合わせな生活からか命知らずで向こう見ずななヤクザ気質だったらしい。 喧嘩や殺傷沙汰も日常茶飯事で街のことを告発した記者は日本刀で顔面を真っ二つにされ、銚子に潜入した記者は1日目にして何件もの大乱闘を目撃することになる。 そんな銚子を支配していたのが高橋寅松、通称高寅というヤクザだった。 彼は明治39年(1904年)銚子に生まれ東京で育ったが地元に帰り地元組織から盃を降ろされてヤクザとなった。その後独立した高寅は銚子の売春街田中町を縄張りとしていたが、銚子の繁華街があった飯沼観音周辺を抗争により手中に収める。 高寅が凄いのはここから漁業を牛耳り市長含めた政治家や警察にまで影響力を持つまでに至ったことだ。 当時の漁師は取れた魚の歩合でもらえる賃金の他に「分け魚」と呼ばれていた魚をいくらか分けてもらうシステムがあったそうだ。彼らはそれを換金して日銭に変える。もともとその頃の漁は今よりもずっと危険で実際死亡者も多かった。明日をも知らぬ身なのだから彼らとしては後で支払われる賃金よりこのほうがありがたかった。日銭を握りしめて彼らは高寅の経営する賭場に通っていた。博打は最大の娯楽だった。もちろん賭場に通う客には、日銭に暮らす漁師だけではなく網元や船主もいた。 水戸黄門の悪役が開いている賭場をイメージすれば分かりやすいが昔の博徒は負けた客に金を貸し出すこともやっていた。それどころか網元や船主のような太客には「回銭」という軍資金をあらかじめ用意をして貸し付けていたそうだ。しかし負けが込んでしまって返済出来なければ当然担保ごと高寅のものになる。そうやって高寅の所有する船は増えていった。 しかし彼が漁師たちの長者になれたのは暴力の力だけではなかった。そのとき労働運動家が漁師たちを焚きつけて漁業の労組を作った。そこで大規模なストライキまでやって活動家の主張する賃上げを資本の側に飲ませたのだが、それによって逆に分け魚の量を減らされてしまった。 現場の漁師たちにとってはいい迷惑である。もちろん資本家や国にとってもそ... 続きを読む
サンドイッチ屋さん「R.O.Star」の「パクチーチキン」を定番メニューにしたのは僕だと思う - 火曜日, 3月 19, 2019 どうも、R.O.Starの「 パクチーチキン サンド」を一日三度食べていた男、錆田鉄男です。 高田馬場から高円寺発祥の センプレピッツァ が消え、 仲屋むげん堂 が消えてだいぶ経つ。ああ、中央線文化が消えていくなあ。え? 高田馬場は中央線通ってないだろって? いやいや、東西線が中野や高円寺に直通で乗り入れしてるからギリギリ中央線文化圏だと思う。 もう十年くらい高田馬場に住んでいるので、行き着けのお店が無くなるのを見送ることは珍しくない。夜勤明けに行った小諸そばも、引きこもってひたすらドラクエ9をしていたときに食生活を支えてくれたウェンディーズももうない。 しかし、人生には別れがあれば出会いもある。3年ほど前に R.O.Star(ロースター) というサンドイッチ屋さんが板橋から高田馬場に上陸した。三号店だそうだ。駅から近すぎず、遠すぎず、もともと喫茶店ルノアールが営業していたところに入れ替わる形で開業した。 営業開始直後は「あ、なんか新しいお店できたな」と思っただけで足を運ばなかった。けれども、以前お台場で働いていたときは毎日、飽くことなく、昼はサブウェイで野菜増しサンドイッチをコーヒーで流し込んでいたサンドイッチマンである。それに僕が育った錆田家の朝は必ずパン食で飲み物はドリップコーヒーだった。新しいサンドイッチ屋さんに足茂く通うことになるのは必定だった。 さて、このR.O.Star、もうひとつの売りは100円のコーヒーであった(過去形)。セブンイレブンがドリップコーヒー100円戦争の口火を切った後であるので当然価格はそうならざるを得ない。小学四年生からのカフェイン中毒者である僕はコーヒー戦争特需の恩恵を一身に浴びることができた。 R.O.Starが自宅の近所にできた頃、僕は適応障害の末、会社を辞めていた。医者に「熟睡できるようにする薬」「寝付きをよくする薬」「不安や緊張を和らげる薬」「気分を明るくする薬」を処方されていたが、会社に行きたくなかったのと同じように、病院にも行きたくなかった。 なぜならば、僕が「白髪がだいぶ増えました」と心労の程度を語ると「君なんかまだいいよ! 僕なんかね髪が無いんだよ! プロペシア飲んで頑張ってるんだ! 錆田さんはまだ生えてるからいいじゃん。染めればいいんだし」と赤... 続きを読む
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