サカナとヤクザ
鈴木智彦さんの「サカナとヤクザ」で銚子の話が面白かった。戦前戦後の漁港は暴力で支配された修羅の国だったときの話だがこれが昔話だとしても日本のこととは思えないくらい闇が深い。 もともと昔の漁師の気質自体が死と隣り合わせな生活からか命知らずで向こう見ずななヤクザ気質だったらしい。 喧嘩や殺傷沙汰も日常茶飯事で街のことを告発した記者は日本刀で顔面を真っ二つにされ、銚子に潜入した記者は1日目にして何件もの大乱闘を目撃することになる。 そんな銚子を支配していたのが高橋寅松、通称高寅というヤクザだった。 彼は明治39年(1904年)銚子に生まれ東京で育ったが地元に帰り地元組織から盃を降ろされてヤクザとなった。その後独立した高寅は銚子の売春街田中町を縄張りとしていたが、銚子の繁華街があった飯沼観音周辺を抗争により手中に収める。 高寅が凄いのはここから漁業を牛耳り市長含めた政治家や警察にまで影響力を持つまでに至ったことだ。 当時の漁師は取れた魚の歩合でもらえる賃金の他に「分け魚」と呼ばれていた魚をいくらか分けてもらうシステムがあったそうだ。彼らはそれを換金して日銭に変える。もともとその頃の漁は今よりもずっと危険で実際死亡者も多かった。明日をも知らぬ身なのだから彼らとしては後で支払われる賃金よりこのほうがありがたかった。日銭を握りしめて彼らは高寅の経営する賭場に通っていた。博打は最大の娯楽だった。もちろん賭場に通う客には、日銭に暮らす漁師だけではなく網元や船主もいた。 水戸黄門の悪役が開いている賭場をイメージすれば分かりやすいが昔の博徒は負けた客に金を貸し出すこともやっていた。それどころか網元や船主のような太客には「回銭」という軍資金をあらかじめ用意をして貸し付けていたそうだ。しかし負けが込んでしまって返済出来なければ当然担保ごと高寅のものになる。そうやって高寅の所有する船は増えていった。 しかし彼が漁師たちの長者になれたのは暴力の力だけではなかった。そのとき労働運動家が漁師たちを焚きつけて漁業の労組を作った。そこで大規模なストライキまでやって活動家の主張する賃上げを資本の側に飲ませたのだが、それによって逆に分け魚の量を減らされてしまった。 現場の漁師たちにとってはいい迷惑である。もちろん資本家や国にとってもそ...